キリスト教と私

教会員によるキリスト教との出会いの体験談

教会に来られている方々が、どのようにしてキリストに出会い、
どのようにして新しい人生を送るようになったのか、体験談をご紹介します。

2023.01.16

「休ませて下さったイエス様」平木 むつみ

聞き手:今回は、宝塚栄光教会の婦人会会長を務められる平木むつみさんです。平木さんは、1995年、阪神淡路大震災が起こった年の12月に洗礼を受けてクリスチャンになられたのですよね。
平木姉:はい、そうです
聞き手:震災の時はどんな状況だったのですか。
平木姉:市内の南ひばりが丘にある自宅は、家の中の物が散乱する程度だったのですが、主人の母の家が半壊になって住めなくなり、しばらく同居していました。証しの中で述べていますが、子どもの事もあって、大変な時期でした。
聞き手:阪急宝塚線沿線では、亡くなった方もたくさんおられたようですが、ご自宅やご家族が守られたのは感謝でした。
平木姉:本当にそう思います。あとで、神様の憐れみだったなと痛感しました。
聞き手:教会では園芸係を務めておられるのですよね。植木や鉢などのお世話はたいへんでしょう。
平木姉:はい、でも、教会の方々や通りかがりの人々の心が和めば、嬉しいなと思います。
聞き手:そうですね。では、お証しをお願いします。

私が教会へ行くようになったのは、今から27年も前のことです。近所の方が、教会の読み物を、実に7年間も届けて下さっていましたが、私は見向きもしませんでした。

その頃の私は、子どもも大きくなり、自分の時間を楽しもうと、生き甲斐を求めていろいろな事を試みて、忙しくしていました。人からも良い人だと言われ、自分でもそう思い、いつも人の視線を気にしている者でした。

そんな時、子どもが思春期になってくると、思いもしなかった問題が次々と起こってきました。子どもが学校に行かなくなり、解決を求めて様々な事をしましたが、何の解決にもならず、ますます悪い方向へと進むばかりでした。

他の子どもたちを妬ましく思ったり、自分を責めたり、子どもを責めたりして、心の中は、先の見えない不安で、悲鳴を上げていました。

そんな中でも、私は人の前では強がり、平静を装っていました。ところが、たまたま行ったスーパーの鏡に映った、暗くて悲しそうで、疲れ果てた自分の顔を見て、「どきっ」としました。

そんな時、机の上に置いていた、ずっと前に届けていただいていた教会の読み物に目が留まりました。私は必死になって、何度も読みました。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイによる福音書11章28節)と書かれていました。私も休ませていただきたいと思いました。この言葉に心ひかれて、教会には何かあると思い、導かれるままに、初めて教会へ行きました。金曜日にもたれていた婦人の時間に、近所の方と一緒に行きました。賛美歌を歌い、牧師先生が語られる聖書の話を聞いていると、あれほど不安だった心が、本当に安らかになり、それから続けて集会に出るようになりました。

そのうちに、聖書の話はまさしく自分の事ではないかと思い、「はっ」としました。神様を信じようともせず、人の視線をいつも気にし、良く見られたいと思い、自分を守るためならどんな事でもする。何をするにも、見返りを求めており、人を見下し、裁く。自分こそが、愛のかけらもない、冷たい罪人だと思いました。

私の行くところは、神様の前だけでした。私は、牧師先生にみちびかれるままに、神様の前に出て、心に思い当たる全ての罪を悔い改め、イエス様の十字架がこの私の罪のためだったと信じました。神様は、自分の事しか考えず、強情で、傲慢で、どうすることもできなかった私の罪を、憐れみをもって赦して、救って下さいました。あの時の、今まで味わったことのない心の平安と喜び、そして心からの感謝を、今も忘れることはありません。

この私の救いのために、先生方が、また多くの方々が長く祈り続けて下さったことか。そして何よりイエス様がどれほど祈り続けて下さったかと思うと、ただただ感謝でいっぱいです。

今も生きておられ、どんな時にも真実をもって、私の前を進んでいて下さるイエス様は、み言葉をもって、また様々な出来事を通して、「おまえは今どうか」と語りかけ、教え続けて下さいます。どんな時にも、このイエス様から目を離さないで、いつも真実に忠実に、喜んで従い続けていく者でありたいと願っています。