最も聖なる信仰の上に
ユダ17-25
ユダの手紙は、大変短い書簡だが、「異端に対する烈しい反論の書」と言われる。前半は、異端を吹聴する者たちについての警告が、後半は、キリストの福音と信仰に生きる者たちに対する警告と励ましが主軸となっている。本日は、この後半に着目したい。17節以降、8つの薦めが目に留まる。順番に見ていきたい。
1. 思い起こせ(17節)
「…使徒たちが前もって語ったことば」とは、キリストの福音、十字架と復活による救いに他ならない(2ペテ3:1,2)。福音に触れ、罪を悔い改め、罪の赦しと滅びからの救いをいただくことが、全てのスタートだ。キリストの救いを明確にいただいた者は、自分の救いを思い起こすことができる。この原点があるのとないのとで、また、明瞭か曖昧かで、その後の神の前での生き方の明暗が分かれる。
2.築き上げよ(20節)
もとは家の建築を表す言葉だ。どんな建物であっても、必ず土台が据えられる。私たちが信仰の土台とすべきなのは、「最も聖なる信仰」、すなわちキリストの信仰だ。キリストが、私たちをどこまでも愛してくださり、私たちのためにご自分を与え尽くしてくださったことによって表された信仰だ(ガラ2:20b, コロ2:7, エペ2:20-22)。
3.祈れ(20節)
ここでは、”願いを切り替える”という原義の言葉が使われている。「聖霊によって」主と密接に結びつき、私の願いを主の願いに切り替えて祈るようにという薦めだ(ロマ8:26.27)。
4.保て(21節)
これは、“見張る”という意味を持つ言葉だ。神は私たちの内側に光を当て続けておられる。私たちは、その光に当てられた自分の内側をしっかりと見張り、いつも神の前を歩む者でなければならない。そうして、私たちは「神の愛のうちに自分自身を保」つことができる(1テサ5:23,24)。
5.待ち望め(21節)
“歓迎して内に招き入れる”という意味がある。明確な救いをいただいた者は、救われてもなお内に残る汚れに必ず気がつく。神の御心よりも自分の欲望を優先させ、神の前を歩むよりも自分の思い通りに歩む姿に直面する。私たちがそうした自分の肉の姿を認め、神の前に砕かれて出ていき、肉を十字架につけて始末するなら、キリストが我が内に臨み、生きて働いてくださる(ガラ5:24, 2:19,20a)。「永遠のいのちに導」いてくださる内住のキリストこそ、私たちが待ち望むお方だ。
6.あわれみの心を持て(22節)
人が持つ同情や慈善ではない。神が持っておられる慈しみの心を、内に生きて働かれるキリストを通して示すことだ(ロマ9:15,16)。
7.忌み嫌え(23節)
完全にキリストに属するものとされた者は、もはや世と世に属するものを愛さない。汚れを憎み、世と袂を分ち、サタンに勝利をとって生きることができる(ルカ14:26,27)。
8.救い出せ(23節)
まだ救われていない魂をサタンの手から救い出すことが、クリスチャンの使命だ。内におられるキリストが働いてくださるから、この使命を果たすことができる(ヤコ5:19,20)。
これらの薦めは、1と2が基礎、3〜5が内面部、6〜8が外面部だと区別することができるが、基礎があって、内面部を経なければ、外面部は全うできない。救いをいただき、信仰を土台として生きる者となりたい。内側を整え、キリストに生きていただく者となりたい。さらに、キリストを通して、神の使命を果たす者となりたい。