礼拝メッセージ

礼拝で語られる 聖書の言葉

毎週日曜日に行われている礼拝で語られたメッセージを配信しています。
ところどころ、慣れない言葉も出てきますが、全体的には、平易でわかりやすい内容です。

"キリスト教や教会には興味があるけど、いきなり出席するのには抵抗がある"という方は、
ぜひ配信されているメッセージをお聞きになって、
文字と映像から、雰囲気を味わっていただけたらと思います。

※毎週日曜日の午後に更新されます。

2024.07.28

見えない者が見えるようになるため

ヨハネ9:1-9,35-41

本日の箇所は、生まれつき目の見えない人が、イエスによって目が見えるようにされた記事だ。それをきっかけにして彼は、パリサイ人たちの反感を買ってしまう。執拗な尋問に対する彼の言葉を見ると、彼の心が徐々に変化していることがわかる(10-12節,15節,17節,25節,30-33節)。彼は、自分の目を開けてくださったイエスが、救い主だとわかっていったのだ。そんな彼に、イエスは再び会われた。彼は、イエスへの信仰を告白し、明確な救いをいただいた(38節)。これこそが、彼の目が開かれた本当の目的だった。彼は、肉体の目だけでなく、心の目も開けていただいたのだ。「目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となる」(39節)とは、心の目、魂のことを指している。目が塞がれたようにして神を知らずに暗闇をさまよっていた者が、キリストと出会って、目が開かれ、救いに与る。かたや、自分は目が見えている、わかっていると思い込んでいる者は、キリストを信じようとせず、自分たちの盲目ぶりをさらけ出す。キリストはまさに、この明暗を分けるために来られた。

イエスの言葉を聞いて反発したパリサイ人たちは、自分たちのことが示されていると悟った(40節)。イエスはすかさず応えられた、「今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある」(41節口語)。彼らは、どの点において盲目だったのか。まず、神のわざがわからなかったという点においてだ。イエスは、この人が盲目なのは、「神のわざが現れるため」と言われた(3節)。肉の目が見えるようになることだけでなく、彼の心の目が開かれ、救い主を信じるようになることこそが、真の神のわざだった(6:29)。ところが、パリサイ人たちは、イエスがなさったことを神のわざだと受け入れることができなかった。

次に、神から遣わされた方がわからないという点において、彼らは盲目だった。イエスは再三、ご自分が神から遣わされた存在であることを語られた(7:28,29,8:26,29)。しかし、彼らはそれを悟ることができずにいた。ここでもイエスは、ご自分を遣わされた方のわざだと宣言され(4節)、「シロアム(訳すと、遣わされた者)の池」を指示された(7節)。パリサイ人たちが、イエスが神から遣わされた者であることを悟ることができるようにされたのだ。しかし、彼らは認めようとしなかった。

さらに、自分たちの罪がわからないという点において、彼らは盲目だった。8章では、姦淫の女性を巡って、イエスの「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい」(8:7)という言葉を通して、自分たちの心に光が当てられたはずだった。イエスは言葉を重ねて彼らの罪の姿に光を当てるが(8:24)、彼らは心を頑なにし、自分たちの罪の姿を深く見ようとしなかった。ここでイエスは「罪が残る」(41節)と言われたのも、彼らの盲目の根本が、自分の姿を見ようとしないところにあることを、悟らせようとされたからだ。

さて、私たちの目は見えているだろうか。心の目が開かれているだろうか。私たちも、罪のために神が見えず、滅びに向かって突き進んでいた。そのような私たちのところに、キリストが神から遣わされて来られた。最大の神のわざ、十字架と復活による救いを成し遂げるためだ。私たちが自分の罪を認め、悔い改め、十字架と復活を信じるなら、罪の赦しと滅びからの救いをいただくことができる。今日の盲目だった人のように、目が開かれ、キリストを救い主と信じる者として歩むことができる(マタ4:16,使徒26:18,コロ1:13,14)。しかし、やがて必ず、救われてもなお罪が残っている肉の実態に気づく。それを認めようとせず、自分は見えている、わかっていると言い張るなら、罪は残ったまま、やはり滅びる(黙3:17)。目を開いてくださいと、打ち砕かれて神の前に出て、肉を十字架につけて始末するなら、キリストが内に臨み、生きて働いてくださる(黙3:18,ガラ5:24,2:19,20)。内におられるキリストを通して、私たちは目の開かれた者として歩むことができる。

見えない者が見えるようになるために、神は今も私たちに語りかけておられる。「目が見えるようにしてください」(ルカ18:41)と、私たちも求めて神の前に出ていきたい。