霊の二倍の分
Ⅱ列王記2:1-14
エリヤの時代は、アハブ王統治下のイスラエル暗黒の時代だった。彼は王と果敢に戦い(1列王18:)、火の預言者と呼ばれた(1:9,10)。我らの神は焼き尽くす火だ(ヘブ12:29)。
そのエリヤも自分の死期を悟って、ギルガルを出発した。エリシャが従った。彼はエリヤの後継者として、豊かな祝福を得た。その秘訣は何だったか。
1.エリシャはエリヤに徹底的に従った。彼は留まれと言われたのに、「私は決してあなたから離れません」(2節)と言ってエリヤに従った。ベテルの預言者学校の級友の忠告に対しても、「黙っていてください」(3節)と言って、エリヤに従うことをやめなかった。エリヤは、彼をベテル、さらにエリコに留まらせようとしたが無駄で、ついにヨルダン川に至った。ギルガル、ベテル、エリコ、ヨルダンは我らの信仰の歩みだ。
(1)ギルガル ヨルダンを渡った民が宿営した所だ。そこで民は割礼を受けた。エジプトの奴隷の恥が取り除かれたのだ(ヨシ4:19,5:8,9)。これは悔い改めを表す。認罪と悔い改めは信仰のスタートであり、明確な救いの条件だ。ここを跳び越えて信仰は始まらない。
(2)ベテル ヤコブが石を枕にして眠った所だ。ヤコブはそこで天に届くはしごを見た(創28:16,17)。彼の神との出会いであり、救いの体験だった。救いは恵みにより信仰による(エペ2:8)。
(3)エリコ ヨシュアたちの行く手を阻んだ町だ。彼らは信仰によってそれを攻略した(ヨシ6:)。大能の主への絶対信頼による勝利だった(マル9:23、ヨハ11:40)。人間の判断で不可能と決めず、信仰をもって前進したい。
(4)ヨルダン 出エジプトした民がカナン入国前に渡った川だ(ヨシ3:,4:)。これは自己の死を表す。明確に救われた魂は、必ず己れの醜さに気づく。御心よりも我意に従いたい、自分が中心にいたい、疲れてくると不機嫌になる、など、結局自分が一番かわいいという自我を一切、信仰によって十字架に付け(ガラ5:24,2:19b)、信じて待ち望む魂に内住のキリストが臨まれる(ガラ2:20a)。
ギルガルからヨルダンまで、という過程をたどりたい。ギルガルを出発した魂は、必ずヨルダンに至る。必要なことは従い続けることだ。留まらせる声が聞こえても、「汝を離れじ」と従い続けることだ。
2.エリシャはエリヤに難しい注文をした。彼はエリヤに霊の二つの分(口語訳)を求めた。長子の分を求めたのだ(申21:17)。つまり、自分を後継者にしてほしいと願い出たのだ。師のごとくなりたいとの願いからだった。我らも霊の二倍の分を主に求めよう。聖霊を、内住のキリストを求めよう。
エリヤは、「難しい注文をする」と言った(10節)。主の御霊が我らのような者の内に住み給うことを求めるのは、確かに難しい注文だ。決して軽く見てはならない。しかしそれは、莫大な恵みへの探求という意味であって、困難という意味ではない。主の約束があるのだ(10節)。
エリシャはエリヤの身から落ちた外套(がいとう)で水を分けた(13,14節)。彼はエリヤと同じ業を行ったのだ。約束通り、霊の二倍の分が与えられたのだ。我らも、エリヤの外套で水を分ける業を行いたい。それは、①救霊の業だ。滅び行く魂をキリストのもとへ導きたい。②悪魔との戦いだ。常勝不敗の戦いを貫きたい。
難しい事を求めよう。低いところで満足せず、恵みの高き嶺を求めよう。主の業を、いやさらに大きな業(ヨハ14:12)、つまり主ご自身がわが内から働き出し給うという者にならせていただこう。「汝を離れじ」「霊の二倍の分を」と渇いて求めよう。