血による贖い
エペソ1:1-14
ここに神の救いの計画の深さが記されている。その中心は「血による贖い」(7節)だ。これこそ我らの救いの源泉だ(1ペテ1:18,19)。罪なき神の御子キリストの血によって、我らは罪と滅びより救われ、自由になった。サタンの支配下から御子の支配下へ移されたのだ(コロ1:13)。
血による贖いとはどんな恵みか。
1.罪の赦し(7節)
十字架によって、過去のすべての罪が帳消しになる。我らは聖い神の前にみな罪人だ。我らは魂が死んでおり、生まれながら神の御怒りを受けるべき者だった(2:1-3)。そんな我らが罪の赦しをいただいた。御子の血という代価が払われて、罪と滅びの呪縛(じゅばく)から解放されたのだ。罪の恐ろしさを知って悔い改め、十字架を仰いで赦罪が与えられた(マタ9:2、ヨハ8:11)。
2.神の子たる身分(5節)
神は我らに、神の子たる身分を授けようとされた(ヨハ1:12)。滅びの子が神の子にされるのだ。神に受け入れられているという確信ほど、平安をもたらすものはない。これが義認だ(2コリ5:21)。赦罪と義認が救いの根底にある。
3.永遠の選び(4節)
我らは「世の基を置かざりし先より」(4節元訳)選ばれていた。気も遠くなるようなご計画ではないか(ヨハ15:16)。一方的な選びだ。我らはそれを知ったのは、後になってからだ。
4.聖く傷のない者(4節)
赦罪だけでなく、聖潔(きよめ)まで与えられる。我らが神の前に傷のない者にされるのだ。傷とは、神に従わない敵対性だ。御心に従うより我意に従いたい自分、主を愛するとは口先だけで、結局は自分が一番かわいいという己…。そのような神に喜ばれない一切を十字架に付け(ガラ5:24)、内にキリストに住んでいただくとき(ガラ2:20)、初めて主の前に傷なき者になる。
5.天上での祝福(3節)
我らが恵みをいただくことは、天の所での会議において決定済みだった。神の前でキリストは我らの祝福を計画された。既に我らのために備えられている聖霊の恵みは、内住の聖霊という形で我らのところに届く。我らに聖霊の証印が押されるのだ(13節)。
6.御心の奥義(9節)
奥義とは将来の祝福だ。時がついに満ちて、キリストの再臨が実現する(10節)。その時万物が一つになり、この卑しい体が主と同じ栄光の姿に変えられる。
7.目的は神をほめたたえるため(12節)
贖われた我らが神をほめたたえる者になること、つまり我らが礼拝の生涯を送ることが贖いの目的であり、主が血を流された目的だ。我らが救われたのは、自分が満足するためではなく、神の作品として神を喜ばせるためだ。
これほど豊かな祝福が、神の豊かな恵みのゆえに我らに備えられている。全ては血による贖いが基だ。
我らが義とされ、聖とされ、贖われるという、この義認・聖化・栄化の全き救い(1コリ1:30)は、御子の血によって、世界の基が据えられる前から定められていたとは、なんという驚くべき神のご計画か。これをぜひ自分のものにしたい。十字架上ですでに成し遂げられている救いを、信じて受け取りたい。血による贖いの恵みをもっと知り、体験し、語り伝えたい。