ただ中におられる救いの勇士
ゼパニヤ3:1-20
ユダ王国のヨシヤ王は、先の王マナセ、アモンによってもたらされた偶像礼拝(2列王21:1-3,9,16,19-22)に対して、神殿から発見された律法をもとに宗教改革を行った(2列王22:8,11-13、23:1-25)。その王を励ましたのが、預言者ゼパニヤだった。1章、2章ではおもに厳しい裁きのみ言葉が語られているが、3章では回復のみ言葉が語られている。罪のために滅ぶべき者が、恵みによって救われるというのが聖書のメッセージだ。
本書に4つの重要なみ言葉がある。5、9、12、17節だ。
1.神は義なるお方だ(5節)
正しい神、義なる神は、不義なる私たちを裁かないではおれない。しかし、神は愛なるお方でもあり、私たちを滅ぼすことを好まれない。このジレンマは、キリストの十字架において解消された。神は私たちに下すべき罰を、罪なき神の御子に下し、私たちを救われた(2コリ5:21)。神は真実なお方だ。
2.神は私たちに一つの心を与え給う(9節)
罪から救い給うた神は、さらに私たちのくちびるを変えて、きよくなし給う。み心に従いますと言いながら、実は従いたくないという自我が、どれほど汚れているかを思い知り、十字架を仰いで、血潮によって洗いきよめていただき、キリストを内にいただく(ガラ2:20)。そして、主がみ心に従順であられたように、私たちも従順な魂とされる。神は御子の全き贖いによって、私たちを主と一つの心を持つ者に造り変え給う(ヨハ14:21)。
3.神は民を残し給う(12節)
レムナントの思想だ。キリストに従う者は少数派だが、この世に主を証ししていく者として、神が備え給う。滅びゆく魂を、手をこまねいて見ていてはならない。
4.神は内なる勇士を現し給う(17節)
義とされ聖とされた魂には、いつも喜びと感謝があり(14節)、何の恐れもない(15節、ロマ8:33,34)。内に勇士が立ち上がられるからだ。
ただし、サタンも黙ってはいない。厳しい現実を見せてくる。しかし、気力を失うことなく(16節)、信仰の目を上げて主に信頼していくなら、主が勝利を与え給う。救いと聖潔の全き贖いを与え給う勇士なる主は、実際生活の中で私たちを絶えず勝たしめ給う。勝ったり負けたりではなく、常勝不敗の信仰生涯を送らせ給う(ロマ8:37)。
内なる勇士を求めよう。信仰によって恵みを内にいただき、信仰によって前進していこう。主は、求めてくる者に恵みを与え、信頼する者に真実を尽くし給う。
この勇士は、教会の中にも立ち上がり給う。教会が主に献げていくとき、主は教会をリバイバルの器として用い給う。終りの時代、そのような教会を主は求め給う。