恵みによりて強かれ
Ⅱテモテ2:1-21
パウロの絶筆と言われる本書で、彼はエペソ教会の牧会を委任した青年伝道者テモテに、激励の手紙を送る。彼にとってテモテは霊の子だった(1節)。パウロがテモテに出会った時には、すでにクリスチャンだったが(1:5)、パウロを師として従って以来、パウロの信仰を継承した。
パウロは、「キリスト・イエスにある恵みによって…」と、気弱なテモテを励ます。自分の力や人の力によって強くなるのではない。キリストの恵みによって強くなるのだ。
本章に、そういう強くされた人の姿が譬えで描かれている。
1.立派な兵士(3節)。パウロは獄中からいつもローマの兵士を見ていた。彼らは皇帝に忠実で、絶対服従を貫き、自己を喜んで犠牲にし、命を賭けて献身した。この世の事に心を奪われず、自分の欲望を満たすことより司令官を喜ばせようと努めた。我らの司令官キリストは、我らの救いのために命を捨て給うた。恵みを感謝し、主を愛し、主に喜ばれるように生きたい。律法的にではなく、恵みによって主に仕えたい。いつでも主のために出陣できる備えのある兵士になりたい。そのためには、いつでも従っているべきだ。
2.栄冠を得る競技者(5節)。いかに優れたアスリートでも、規定に従わなければ栄冠を得られない。また、出場者は自己鍛練が大切だ(1コリ9:27)。我らの栄冠は栄光の望みだ(ピリ3:13,14)。栄冠を勝ち取るために、努力する者になりたい。
3.労苦する農夫(6節)。収穫の喜びを味わえるのは、汗と涙で労した者だ(詩126:5,6)。収穫のためには犠牲を惜しまず、時間をかけ、労を費やす農夫が、実を豊かに刈り取る。我らも魂の収穫を得たい。家族・親戚・隣人・友人をキリストに導きたい。
4.熟練した働き人(15節)。我らは未熟だが、いつまでも未熟であっていいのではない。サタンは練られた計略をもって攻撃してくるからだ。我らも熟練した働き人にならなければならない。アブラハムの訓練した家の子(創14:14口語)になりたい。
熟練した働き人とは、①真理の言葉を堅く持つ人だ。教えるためには、自らそこに生きていなければならない。神の霊感を受けて書かれたみ言葉に自ら生き、人を教え、戒め、正しくし、義に導かねばならない(3:16)。②神に自分を献げた人だ。もはや自分のために生きず、自分のために死んで甦った方のために生きる。そのためには、どんな犠牲も惜しまない、という献げきった魂となっていることだ。
熟練した働き人となるための条件は、きよめられた器になることだ(21節)。金の器は王の食器だ。我らも王なるキリストに使っていただく金の器になりたい。そのためには、卑しいものを取り去らねばならない。汚れを内側にこびり付かせたままでは、王は食事を取れない。かと言って、自分で自分を清くできない。だからキリストは十字架についてくださった。古き人を十字架に付け、キリストを内にいただいて、全く潔められて、金の器になれる。
せっかく贖われた我らだ。主の用に役立つ者、主に喜ばれる者になりたい。それが我らの目当てだ。神の恵みによって強くならせていただこう。真実な主が為し給う(13節)。