礼拝メッセージ

礼拝で語られる 聖書の言葉

毎週日曜日に行われている礼拝で語られたメッセージを配信しています。
ところどころ、慣れない言葉も出てきますが、全体的には、平易でわかりやすい内容です。

"キリスト教や教会には興味があるけど、いきなり出席するのには抵抗がある"という方は、
ぜひ配信されているメッセージをお聞きになって、
文字と映像から、雰囲気を味わっていただけたらと思います。

※毎週日曜日の午後に更新されます。

2015.09.06

天よりの火を求めて

Ⅰ列王記18:16-40

イスラエル統一王国は、ソロモンの子レハブアムの治世に南北に分裂した。北王国イスラエルをヤロブアムが治め、ベテルとダンに神殿を築いて以来、イスラエルには悪王ばかりが出た。

なかでもアハブ王は最悪だった。妻イゼベルは、バアル崇拝を取り入れて民に強要し、主の預言者を虐殺した。こうした暗黒時代に預言者として立てられたのがエリヤだ。彼の使命は、アハブに惑わされた民に、主こそ真の神たることを知らせることだった。

エリヤは王の前に立ち(17:1)、神のメッセージとして干ばつの警告を伝えた。干ばつが3年続き、困窮が極みに達した時に、彼は再び王の前に立ち(18:1,2)、王の罪を堂々と指摘した。この彼の勇気は、神への信頼からくるものだった。

民に真の神を示すためには、戦いが必要だった。彼は王に挑戦し(19節)、バアルの預言者450人を前に果たし状を突きつけた。決戦の日、カルメル山に多くの人が詰めかけた。敵は450人、当方はエリヤ1人、勝ち目はない。しかし彼はものおじせず、泰然自若(たいぜんじじゃく)として立っていた。神が味方だからだ(ロマ8:31)。この落ち着きは、やはり神への信頼から来るものだった。

彼は「火をもて応うる神を神と為すべし」(24節文語)と言い放った。そう言う彼には論理的に裏づける確信があった。昔、神が火をもって答えられた事実があったのだ(レビ9:24、Ⅰ歴代21:26、Ⅱ歴代7:1)。昔も今も変わらない神は、必ず火をもって答えられると確信したのだ。

戦闘の開始。まずバアルの預言者から始めた。彼らがどんなに懸命(けんめい)に祈っても、バアルの神から応答はなかった。エリヤの番になった。彼は入念に準備をした。祭壇を築き直し、溝を掘って水を掛けて、人の手では火の付くはずはない状態にした。神自ら火を付け給うとの確信があったからだ。

準備が完了し、彼は短く的確に祈った(36,37節)。彼は、ただ民のためにと祈った。この戦いは、民の悔い改めと救いのためだという位置づけがはっきりしていた。この祈りに、神は直ちに答えられ、天より火が下った(38節)。民は悔い改めに導かれた(39節)。エリヤの勝利だ。神は彼の信仰に答えられた。

エリヤの神は我らの神だ。神は我らの祈りに答えて、聖霊の火を下し給う。我らの罪・汚れを焼き尽くし、潔め給う聖霊の火だ。神は焼き尽くす火だ(ヘブ12:29)。

聖霊の火は十字架を通して下る。信仰をもって自我を十字架に付けた魂に、聖霊の火は下る。この火を下していただくのに、ぼんやり待つのではない。祭壇を繕(つくろ)い、その上に犠牲を乗せなければならない。十字架に対する信仰を繕い、自分自身を献げるのだ。全て献げ尽くして虚(むな)しくなった魂に、キリストの内住という形で聖霊が臨まれる。

エリヤは、「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか」(21節)と迫った。これは我らへの主の挑戦だ。ふた心の歩みをやめ、きっぱりと主につきたい。自我と肉とこの世から聖別された、キリスト・イエスに属する者になりたい。そのために聖霊の火をいただきたい。御言葉に従うことから離れずに、静かに待ち望もう。天よりの火は必ず下る。