神の家族に入れられる幸い
エペソ2:11-22
本書には、我らの救いが何かが余すところなく書かれている。とくに本章に、救われるとはどういうことか、何によって救われるか、救われてどうなるか…などがわかりやすく述べられている。
1.我らはどういう者だったか
罪に死んでいた者だった(1節)。罪過と罪、不従順と罪、本質的な罪と具体的な罪だ。詳しくは、①この世の習わしに従っていた(2節口語訳)。②サタンに支配されていた(2節)。③肉の欲の欲するままに歩んでいた(3節)。その結果、「生まれながら御怒りを受けるべき子ら」(3節)だった。
2.神は何を為し給うか
血による贖いを与え給うた(1:7)。その内容は、①キリストと共に生かされた(5節)。②キリストと共に死に、共に復活させられた(6節)。③キリストと共に天の所に座せしめられた(6節)。
見方を変えれば、(1)血によって近づけ給うた。贖いのゆえに、大胆に神に近づくことができる者にし給うた(13節)。(2)血によって隔ての壁(=罪)を十字架の贖いを通して打ち壊し給うた(14節)。
我らを神から遠ざけていたものは自らの罪だ。神は御子の十字架の贖いにより、それを除去し、はばからず神に近づくことができる者にし給うた。
3.我らはどういう者になるのか
①神に造られたものになる(10節)。良い行いをするように、つまり、神のみ心に従うように造られた神の作品だ。
②神の住まいになる(22節)。神が宿られる住まい、神が自由に出入りし給う御住まいだ(2コリ6:16)。居候ではなく、住み込んで常に共に在し給うお方だ。これがキリスト内住の恵みだ。
③神の家族になる。父を中心にした、キリストの兄弟であり、神のみ心を行う者だ(マタ12:50)。十字架の血によって神の血縁関係に入れられ、一つの家族とされる。そこには喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く真の交わりがある。
家族の絆の危機が取りざたされる今日だが、真の家族の交わりは神の家族の中にある。十字架の贖いを信じる信仰で一致することができる家族だ。
罪のために死んでいた我らが、神の恵みにより、キリストの十字架の贖いを通して、生かされ、天の所に座せしめられ、神の家族の一員にされ、神の御住まいに建て上げられる。この十字架の贖いの深さを体験させられたい。そして、この福音を大胆に証ししていく者とされたい。