礼拝メッセージ

礼拝で語られる 聖書の言葉

毎週日曜日に行われている礼拝で語られたメッセージを配信しています。
ところどころ、慣れない言葉も出てきますが、全体的には、平易でわかりやすい内容です。

"キリスト教や教会には興味があるけど、いきなり出席するのには抵抗がある"という方は、
ぜひ配信されているメッセージをお聞きになって、
文字と映像から、雰囲気を味わっていただけたらと思います。

※毎週日曜日の午後に更新されます。

2014.12.28

エベン・エゼルの神

1サムエル7:1-17

イスラエルにとって大切な神の箱が、ペリシテに奪われた(4章)。形式的信仰のゆえの敗北だった。しかし、本章で彼らの信仰が復興する。リバイバルだ。彼らは久しぶりの勝利を収める。その原因は、民の悔い改めとサムエルの執り成しだった。

 

1.イスラエルの民の悔い改め

イスラエルの全家は主を慕い求めていた(2節)。それまで失われていた主への愛の回復だ。不信仰は主への愛の欠乏から来る。主よりも自分を愛するのだ。

サムエルは民に神の前に悔い改めるよう勧めた(3,4節)。形式的信仰は偶像礼拝を許容する。主への愛の欠乏は、自ずと偶像への愛へと傾く。そこでサムエルは、偶像を一掃することを図ったのだ。

「心を主に向け、主にのみ仕える」のは、贖われた民としての本来の姿だ。主イエスは「主なる汝の神を拝し、ただこれにのみ仕え奉るべし」(マタ4:10文)とサタンに言い放ったが、これは神の民の自然な姿なのだ。サムエルの勧めに、民は砕かれた心で素直に従った。そこには深い認罪と悔い改めがあった。これこそリバイバルの条件だ。

 

2.サムエルの執り成し

サムエルは「私はあなたがたのために主に祈りましょう」と言った。民は彼に信頼した。

主イエスは我らのために十字架にかかられた。今も大祭司として神の前に出ていてくださる。イエスの名に信頼して祈るなら、神はみわざをなし給う。

ペリシテは結集した(7節)。それは民が悔い改め、心を主に向けた時だった。魂が主に帰ろうとする時、サタンは働く。しかし、結果はイスラエルの圧勝だった。勝因は、民の神への信頼とサムエルの祈りにあった。

 

3.エベン・エゼルの石

サムエルは記念の石を置き(12節)、「ここまで主が我らを助けてくださった」と言った。その石は主の助けの記念の石だった。①民を悔い改めに導き、②信仰を回復し、③勝利を与え給うたことを感謝したのだ。

民は悔い改めたから信仰が復興され、勝利に導かれた。これは主の助けの順序だ。

我らにもエベン・エゼルの石がある。それはキリストの十字架だ。認罪と悔い改め、十字架を信じて罪の赦しをいただいた。さらに、救われてもなお神に敵対する自我を十字架につけ、待ち望む魂にキリストが内住し給う。こうして我らは、十字架の血と聖霊によって、一切の汚れから潔めていただける。

 

この年を振り返って、助け給うた神に感謝しよう。救われた恵みを感謝し、さらに恵みの深みへと乗り出していこう。我らの神はエベン・エゼルの神、助け給う神だ。来る年もエベン・エゼルの神を仰いで前進していこう。