知れ。主こそ神
詩篇100篇3節
こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか。
今は便利な時代になりました。ちょっと何かを知りたい、知識を得たいと思ったら、インターネットで調べれば簡単に知ることができるようなりました。けれども、たくさんのことを手軽に知ることができるようになった今だからこそ余計にそう感じるのですが、本当に知るべき大切なことを、人はどれくらい知っているのでしょうか。そもそも本当に知るべきこととは、何でしょうか。
聖書に聞いてみましょう。こう書かれているところがあります、「知れ。主こそ神。主が 私たちを造られた。 私たちは主のもの 主の民 その牧場の羊」。この聖書の言葉が語る通り、私たちが知るべきなのは、まず一つ目に、主こそ神であること、つまり、唯一真の神様がおられるということです。二つ目に、私たちはその神様によって造られたということです。そして三つ目に、私たちはこの神様のものであり、神様の民であり、神様が牧する牧場の羊であるということです。これら3つの順番には意味があります。
まず私たちは、主こそ神であることを知るべきです。私たちの周りには、八百万と言われるほどたくさんの「神」と呼ばれるものがあります。ところが、そのどれも、人間が祀り、供物をしなければなりません。しかし、唯一真の神様は、初めからおられ、どこかの場所に縛られることなく、私たちの全てをご覧になっています。私たちはまず、この神様がおられることを知るべきなのです。
この神様がおられることを知ることは、私たちがどのような存在なのかを知ることにつながります。私たちは、神様によって造られた存在です。それなのに、私たちは神様から離れ、神様がおられることも忘れてしまいました。これが罪です。この罪のために、私たちは滅びてしまいます。しかし、神様から遣わされたキリストが十字架にかかって死に、死を破ってよみがえられたことによって、救いの道が完成しました。私たちは、罪を悔い改め、キリストを救い主と信じることによって、罪の赦しと滅びからの救いをいただくことができます。自分を造ってくださった神様のもとに立ち返ることができます。
こうして創り主である神様の救いに入った者は、自分が神様のもの、神様の民、神様が牧する牧場の羊であることを知ることができます。羊は、自分の飼い主が誰なのかを知っています。ですから、飼い主を信頼し、飼い主のもとで安心することができます。私たちも、キリストの救いをいただいたならば、神様の羊として、神様の与えてくださる平安と希望と喜びの中を生きていくことができます。
「知れ。主こそ神」と、今、神様はあなたにも呼びかけておられます。あなたは、この大切なことを知っておられるでしょうか。ぜひ、神様のことを知っていただきたいと思います。そして、キリストの救いをいただいて、神様を知った者としての生き方を始めていただきたいと願います。
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