私たちの土台
イザヤ28:16
こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか。
建物を建てるときに、土台をしっかりと固めるという行程がとても大切なのだと言われます。地上に見えている部分が、どんなに立派に造ってあっても、土台がいい加減だとすぐに崩れてしまったり、傾いてしまったりするからです。私たちの人生も同じことが言えると思います。土台がしっかりしていないと、ちょっとしたことでぐらつくのです。思いもかけない出来事が起こったり、何かをきっかけに人生の歯車が狂ってしまったり、予想もしていなかったようなトンネルに入って出口がわからなくなってしまったり、私たちの人生に起こるあらゆる事態に直面するとき、私たちが何を土台にしているかが鍵になります。
聖書には、このように書かれています、「それゆえ、神である主はこう言われる。『見よ、わたしはシオンに 一つの石を礎として据える。 これは試みを経た石、 堅く据えられた礎の、尊い要石。 これに信頼する者は慌てふためくことがない』」。礎とか、要石と言われているのは、神様のひとり子キリストのことです。私たちは、罪のために神様から遠く離れた存在でした。ちょうど、土台を失った建物に例えることができるでしょう。そんな建物は放っておけば崩れることが明らかなように、罪をかかえたままの私たちも、そのままでは確実に滅びるものだったのです。キリストは、神様から遣わされて、そんな私たちのところに来られました。私たちの土台となってくださるためです。それが、キリストの十字架と復活を通して開かれた救いの道です。どんな罪を犯した者であっても、自分の罪を悔い改め、キリストの十字架と復活を信じるなら、罪を赦され、滅びからの救いをいただくことができます。ちょうど、土台をしっかりと据え直された建物のように、救いをいただいた者は、固く動かされない信仰の歩みを送ることができます。人生の中で起こりくる様々な出来事の中でもぐらつきません。しっかり前を向いて、上を見上げて、決してなくならない希望と平安をもって生きていくことができます。
あなたは何を土台としていますか。あなたの土台は固く据えられていますか。ぜひ、キリストの救いをいただいて、キリストという土台を据えられた生き方を始めていただきたいと願います。
教会ではあなたのお越しを心からお待ちしています。