神がともにおられる
マタイ1:23
こんにちは。お元気でお過ごしですか。
クリスマスが近づきました。イエス様がお生まれになる前、マリアの婚約者ヨセフは、マリアとの婚約を解消しようとしました。自分のあずかり知らぬところで、彼女が身重になったことがわかったからです。しかし、婚約を解消したところで、彼女のおなかは大きくなっていき、やがて人々に知れるでしょう。そして彼女は、罪を犯したということで、石打ちの刑に処せられるのです。
ヨセフは悩みました。そんなとき、御使いが現れ、恐れずに彼女を妻に迎えなさいと告げました。そして、次に御使いが言った言葉がこれです。
「『見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』それは、訳すと『神が私たちとともにおられる』という意味である。」マタイの福音書1章23節の御言葉です。
イエス様は、神様が私たちと共におられるという恵みを、具体的に現すお方として来られました。私たちは、きよい神様の前に出されれば、弁解の余地なく裁かれなければならない罪人です。しかし神様は、私たちが滅びるのを見るに忍びないと思われ、御子イエス様をこの世にお送りくださいました。
イエス様は、罪のない神様の御子であられたにもかかわらず、あのむごい十字架に付けられて死なれました。それは私たちの身代わりでした。本当は、私たちが罪の罰を受けなければならなかったのに、そうならなくてもよいように、罰など受けるはずのないイエス様が、私たちの代わりに、神様から罰を受けてくださったのです。
この十字架の前で罪を悔い改め、イエス様が私の罪のために十字架にかかってくださったと信じるなら、すべての罪は赦され、私たちは救われます。この救いをいただくのが、神様が私たちと共におられるという祝福の始まりなのです。
クリスマスとは、神様が私たちにこの祝福を与えようとして、御子イエス様をお遣わしくださったことを喜ぶ時です。だから“メリー・クリスマス”なのです。あなたにも、本当のクリスマスの意味を知っていただきたいと思います。そして、共に心からイエス様のご降誕をお祝いいたしましょう。
教会では、12月21日(土)午後3時より、ベアンテ・ボーマン先生ご夫妻によるクリスマス・チェロコンサートを開催します。入場無料です。ぜひおいでください。ライブ配信もしますので、ご来場になれない方は、宝塚栄光教会のホームページからご覧ください。