わたしのもとに来なさい
マタイ11:28
こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか。
先日4月28日、星野富弘さんが亡くなられました。星野さんは、中学校の教員だった頃、クラブ活動の指導中に起きた跳び箱の墜落事故によって頸髄を損傷し、身体の自由を失ってしまいました。看病する母の助けによって、口に筆やペンをくわえて絵や詩を描くようになりますが、彼の心は満たされないままでした。そんな中、クリスチャンの友人が持ってきてくれた一冊の聖書を読むようになり、イエス・キリストが言われたこの一節が目に留まりました、「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」。心が疲れ切り、とんでもないを重荷を負ってしまった自分に向かって、キリストは”わたしのもとに来なさい”と言ってくださる。むずかしいことは何もわからないけれど、素直にキリストのもとに行こう。こう思った彼の心に、キリストを信じたいという願いが始まっていきました。彼はやがて洗礼を受け、クリスチャンとして歩み始めました。車椅子で散歩をするときなどに目に留まった草花や心に感じたことを、口にくわえた筆とペンで絵と詩に表していくようになりました。身体の自由は戻ってきません。それでも、キリストのもとに行って疲れも重荷も解決をいただいた彼の心は、自由にはばたき、その温かくて鮮やかなタッチの絵と素朴でやさしい詩は、見る人たちの心を和ませ、前を向かせてくれています。地上での使命を終えた今も、そのの生き様を通して、キリストのもとに行った者がいかに人生を変えていただくことができるかを、私たちに教えてくれています。
「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」。私たちは誰でも、多かれ少なかれ疲れ傷つき、大なり小なり重荷を抱えながら生きています。キリストは、私たちの疲れ傷ついた心を癒し、重荷を降ろすところとなってくださいます。私たちは、本来神様によって創造された存在でした。神様のもとで平安と祝福をいただいて生きるものでした。しかし、罪が入り、私たちは神様から遠く離れてしました。私たちは、罪のために、魂が滅びなくてはならないものとなってしまいました。私たちの心を疲れさせ、重荷を負わせている本当の原因は、私たちの心が罪に縛り付けられ、魂が滅びに向かっているからです。この罪と滅びの問題を解決するために、キリストが神様から遣わされて私たちのもとに来てくださいました。キリストが十字架にかかって死に、死を破ってよみがえってくださったことによって、神様が私たちのために用意してくださった救いの道が完成しました。誰であっても、自分の罪を悔い改め、キリストの十字架を信じるだけで、罪の赦しと滅びからの救いをいただくことができます。私たちに重くのしかかっていた罪と滅びの問題は解決します。私たちは、キリストのもとで疲れを癒し、重荷を降ろした者として、決してなくならない平安と希望をいただくことができます。どんなことがあっても前を向いて、明るく歩んでいく者となることができます。
「わたしのもとに来なさい」と、キリストは私たちにも語りかけておられます。私たちも、素直にキリストのもとに行きましょう。そして、キリストのもとで疲れを癒し、重荷を降ろし、キリストの救いをいただきましょう。
教会ではあなたのお越しを心からお待ちしています。