新しいみわざを求めて
イザヤ43:19
あけましておめでとうございます。この年も、あなたの上に、神様の恵みが豊かにありますようにお祈りいたします。
新年は、気持ちも新しくして出発する時です。多くの人々が初詣に行かれますが、お賽銭を投げ込んで、柏手を打つのも、そういう決意と願いをこめてのことでしょう。しかし、私たちは、新しくしてくださるお方を知らなければなりません。聖書にこう書かれています。
「見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたは、それを知らないのか。必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。」イザヤ書43章19節の御言葉です。
「わたし」とは、天地を創造された、ただお一人のまことの神様です。私たちは、この神様の前に、汚れた罪人で、そのままでは滅んでしまう者でした。しかし、神様は私たちを愛してくださり、私たちが滅びないようにと、イエス・キリストをお送りになりました。
キリストは、33年半の生涯の後、十字架にかかって死なれました。それは私たちの罪のためでした。キリストは罪のないお方でしたのに、罪人の私たちに代わって十字架にかかられたのです。私たちが滅びないで、罪から救われるためです。私たちが自分の罪をおわびして、十字架がこの私のためだったと信じれば、どのような人でも、どのような罪でも赦され、救われます。そして、生まれ変わった光の子として、新しい人生を歩んでいくことができるのです。
「新しいことを行う」とは、まず私たちのうちに、この造り変えのみわざが為されることです。これは、目があっても見ることができず、手があっても救うことができない偶像には、とうていできないことであり、天地を創造され、独り子キリストを十字架におつけになった、まことの神様だけが為し得ることなのです。
あなたは、本当に新しくなりたいと願われますか。それなら、ぜひキリストのもとにおいでください。そして、内になされる新しいみわざを体験してください。教会では、毎週日曜日午前10時半より礼拝を行っています。どなたでもおいでいただける、開かれた集いです。ぜひ一度お越しください。心からお待ちしています。