神のわざが現れるため
ヨハネ9:3
こんにちは。ご機嫌いかがですか。
この世の中、不条理なことが多いです。なぜこんな不幸なことが起こるのか、なぜあの人が死ななければならないのか、と思うようなことが、人生の中ではよくあります。大地震や台風などの自然災害で命を落とす人、事故や病気で生涯を閉じる人など、“なぜこの人が…”と思うことがあります。
ヨハネの福音書の中に、こういう物語が出てきます。イエス様と弟子たちが道を歩いていると、生まれながら目の見えない人が、物乞いをしていました。弟子たちはイエス様に、「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」と尋ねました。当時は、そのような因果応報的な考え方をするのが当たり前だったようです。
しかし、イエス様は言われました。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。」これはヨハネの福音書9章3節の御言葉です。イエス様は、当時の常識的な考え方に、はっきりとノーと答えられました。そして、その生まれながら目の見えない人をいやされ、文字通り、神様のみわざを現されました。
私たちも、なぜ私がこんな目に遭わなければならないのか、とか、なぜこんなことが起こってくるのか、と叫びたくなることがあります。そして、ひょっとしたら、私が過去に犯した過失が原因になっているのではないか、とか、挙げ句は、先祖の祟りではないか、などと思ってしまうのです。
イエス様は、「この人に神のわざが現れるためです」と言われました。あの人のせい、この人のせい、自分のせい、先祖のせい…ではない。神様のみわざが現れるためです。
私たちの罪のために十字架にかかって死んでくださったイエス様は、私たちをむやみに苦しめたりはなさいません。それどころか、私たちの上に、素晴らしい御業を現したいと願っておられます。それは、まず、十字架による罪の赦しの救いです。ただ、私たちが御言葉に従ってイエス様の十字架を信じるなら、イエス様は私たちに罪からの救いを与えてくださいます。さらに、私たちがイエス様の真実を信じて、御手にお委ねしていくなら、イエス様は、イエス様の方法で栄光を現してくださいます。
今、あなたがどのような状況に置かれていても、真実なイエス様を信じましょう。イエス様は、必ず助けてくださいます。教会では毎週日曜日、午前10時半より礼拝を行っています。どなたでも、お気軽のご参加ください。心からお待ちしています。