ほんとうの自由
ヨハネ8:36
こんにちは、ご機嫌いかがですか。
自由という言葉は、私たち人間を魅了します。昔、フランスでは、自由を求めて民衆が立ち上がり、革命を起こし、王政を倒しました。1789年に起こったフランス革命ですね。
犯罪を犯すと、警察に捕らえられ、留置場に入れられます。裁判を受けて、有罪が確定すると刑務所に入らなければなりません。身柄は拘束され、自由がグッと制限されます。そのとき、自由というものが、どれほどありがたいかがわかります。
ヨハネの福音書8章36節で、イエス様はこう言われました。「ですから、子があなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由になるのです。」これを聞いて、たいていの人は“私は今も自由ですよ。誰にも、何にも縛られてなんかいませんよ”と思われます。しかし、イエス様は、その少し前でこう言っておられます。「罪を行っている者はみな、罪の奴隷です」。
聖書に出てくる記事ですが、イエス様のところに、一人の女性が引っ立てられて来ました。姦淫の罪を犯している場をパリサイ人たちに押さえられ、無理やりイエス様のところに連行されて来たのです。この手の罪を犯した人は、その場で石打ちの刑に処せられるというのが、当時の決まりだったのですが、イエス様は、彼らに「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい」と言われました。この鋭い言葉に刺された彼らは、すごすごとその場を立ち去り、結局、彼女を罰する者は一人もいませんでした。
神様の前に、罪のない人は一人もいません。「義人はいない。一人もいない」とローマ人への手紙3章10節にあるとおりです。私たちはみな、一人残らず罪人です。自由だ思っていても、しょせん罪の奴隷であって、罪の命じるようにしか考えたり、行動したりすることができないのです。実に哀れです。
しかし、そのような状態から、イエス様が私たちを解放してくださいます。イエス様自らが十字架にかかることによってです。罪のない神の御子イエス様は、罪の奴隷であった私たちの身代わりに十字架にかかって死んでくださいました。私たちが受けなければならない罰を、代わってイエス様が受けてくださったのです。このイエス様の十字架を信じるなら、私たちは全ての罪が赦され、罪から解放されて、自由が与えられます。私たちが努力して獲得する自由ではなく、イエス様が上から与えてくださる自由、ほんとうの自由です。
あなたも、ぜひこのほんとうの自由を、イエス様からいただいてください。そして、神様が備えられた祝福の道を進んで行ってください。
教会では、あなたのおいでを心からお待ちしています。