涙の谷を過ぎるときも
詩篇84:5,6
こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか。
私たちの人生には山があり谷があり、いろいろなことが起こります。幸せなことや嬉しいことがあるかと思えば、辛いことや悲しいことが起こります。ともすると、幸せなことや嬉しいことよりも、辛いことや悲しいことのほうが多いように感じることもあるでしょう。
辛いことや悲しいことを谷間の道に例えるなら、両側にそそり立った岩に沿って細くて険しい道を辿っていくイメージでしょうか。今にもそそり立った岩が崩れてくるのではないかという恐怖と必死に闘わなくてはいけません。岩に遮られて太陽の光はほとんど差し込まないので足元は暗く、進む先に何があるのかもよく見えません。こんな人生の谷間の道を行くとき、あなたはどうしますか。
聖書にこう書かれているところがあります、「なんと幸いなことでしょう。 その力があなたにあり 心の中に シオンへの大路のある人は。彼らは涙の谷を過ぎるときも そこを泉の湧く所とします。 初めの雨も そこを大いなる祝福でおおいます」。ここにも「涙の谷」という表現があります。涙なしには通れないほど険しい谷、ということです。「心の中にシオンへの大路のある人」とは、どういう意味でしょうか。これは、神様の救いに与り、いつも神様の前を歩む人ということです。
私たちは本来、神様によって創造され、神様と共に生きる存在でした。しかし、罪が入ったために、神様と私たちとの関係は崩れ、私たちは神様から遠く離れてしまいました。神様から離れた私たちは、その罪のために滅びる運命を辿る存在となってしまったのです。そんな私たちが滅びるのを惜しんでくださった神様は、私たちのために救いの道を備えてくださいました。それがイエス・キリストでした。キリストは、十字架にかかって死なれ、死を打ち破ってよみがえられました。キリストの十字架と復活こそ、私たちのために備えられた救いの道でした。誰でも、自分の罪を悔い改め、キリストを救い主として信じるなら、罪の赦しと滅びからの救いを受け取ることができます。キリストの救いを受け取った人は、キリストを信じる信仰によって、豊かに注がれる神様の守りと祝福のうちを生きていきます。辛いことや悲しいことが起こっても、信仰によって進んでいくことができます。神様の祝福は、そのような人に豊かに注がれますから、その人は、神様の祝福を泉のように湧き上がらせ、自分が潤うだけでなく、周囲の人々をも潤すことができます。まさに、「涙の谷を過ぎるときも そこを泉の湧く所と」する生き方です。
あなたは今、「涙の谷」を通っていますか。ぜひ、キリストの救いを受け取って、神様の守りと祝福のうちを進んでいただきたいと心から願います。
教会では、毎週日曜日、午前10時半より礼拝を行っています。クリスチャンの方もそうでない方も、どなたでも集っていただける開かれた集会です。ぜひご参加ください。