いのちの光を持つ
ヨハネ8:12
こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか。
10年程前、アフリカのタンザニアを訪れたことがありました。日本人の宣教師ご夫妻のもとで、教会の青年たちと共に1ヶ月間滞在しました。その時の印象的なことの一つに、停電があります。私たちが滞在していたのはタンザニアの南にある田舎の村で、電気はちゃんと通っているのですが、夜7時くらいになると、各家庭での電気の使用量が供給量を上回り、停電が起きました。毎晩です。日本と違って、外に街灯もなく、本当に真っ暗になりました。最初は慌てました。懐中電灯を探してパニックになりました。でも、数日経ち、1週間も過ぎると、不思議なもので、慣れてしまいました。そのうち、その時間を見越して早めに調理しておいた食事を囲み、真っ暗の中、懐中電灯の灯りひとつで平然と食事を続けるようになりました。手元に灯りさえ用意しておけば大丈夫、というわけです。
イエス・キリストを信じている人も、同じです。真っ暗の中、手に煌々(こうこう)と照らす灯りを持っているようなものです。聖書に、このようなキリストの言葉があります、「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます」。この世界は暗闇です。どこに真理があるのか、どこに正義があるのか、どこに平和があるのかと叫びたくなるような、暗闇です。なぜでしょうか。国が悪いから?社会が悪いから?悪い人たちがいるから?いいえ、それらの前に、まず、私たちの心に罪があるからです。私たちは、罪のために神様から遠く離れ、滅びゆく存在です。この世界は、私たちの罪のために、暗闇の中を突き進み、ついには滅びてしまうのです。しかし、イエス・キリストが神様から遣わされて、私たちの暗闇の真っ只中に来てくださいました。世の光、私たちの光となるためです。キリストは、十字架にかかって死に、死を打ち破って、よみがえってくださいました。キリストの十字架と復活を信じる者は、誰一人の例外なく、罪が赦され、滅びる運命から、永遠のいのちの希望へと移し替えられるのです。この救いこそが、私たちに与えられる灯り、いのちの光です。この救いに生きる者は、暗闇の中でもしっかり前を向いて、平安と確信に満ちて歩んでいくことができます。
私たちの世界を覆う暗闇は、ますます暗さを増していきます。あなたも、世の光であるキリストの救いをいただいて、いのちの光を持つ者となりませんか。
教会では毎週日曜日の朝10時半より、礼拝を行っています。賛美歌を歌い、聖書のお話に耳を傾ける中で、神様から慰めと励ましを与えていただくひと時です。あなたのおいでを心からお待ちしています。