キリストという橋渡し
ヘブル7:25
こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか。
今月6日にトルコ南部のシリア国境近くで発生した大地震(おおじしん)では、4万人以上の方が亡くなり、甚大な被害が報告されています。今もなお懸命の救助活動が行われていますが、今後も死者の数は増えるだろうと言われています。被災された方々の上に、神様の助けと慰めがありますように心からお祈りします。
さて、このトルコという国は、古くからヨーロッパ、中東、アジアの橋渡し役を買って出る国として知られてきました。ウクライナとロシアの戦争においても、和平調停を実現させようとトルコの首相が尽力していた姿は、記憶に新しいと思います。そこには様々な政治的な事情があったのでしょうが、橋渡しという立場がいかに大切なのかということを教えられました。
聖書も、イエス・キリストが、神様と私たちの間の橋渡しだと語ります。こう書かれている箇所があります、「イエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります」。「彼ら」とは私たちのことです。私たちは、罪のために神様から遠く離れた、滅びゆく存在でした。神様と私たちとの間には、深い溝があって、罪のある私たちは神様がおられる向こう側に行くことができなかったのです。神様は、そんな私たちに救いの架け橋を与えてくださいました。それが、キリストです。キリストは、十字架にかかって死なれ、死から復活されました。このキリストの十字架と復活を信じる者は、罪からの救いをいただくことができます。まさに、神様と私たちとの間にできていた深い溝に、キリストという橋がかけられ、キリストによって、私たちは神様に近づくことができるのです。
キリストという橋は、キリストを信じた者しか渡ることができません。逆に、キリストを信じさえすれば、誰でもこの橋を渡ることができます。あなたも、キリストを信じて、キリストによって神様に近づく者となりませんか。
教会では、毎週日曜日、午前10時半より礼拝を行っています。一週間の初めの日に、賛美歌を歌い、祈りをささげ、聖書からのメッセージに耳を傾けることは、大きな祝福となります。あなたのおいでを心からお待ちしています。