初めにことばがあった
ヨハネ1:1
こんにちは。ごきげんいかがですか。
どんな本でも、書き出しは非常に大切です。なぜなら、読者に読む気を起させなければならないからです。
新約聖書のヨハネの福音書の書き出しは、とても興味深いものです。「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」ヨハネの福音書1章1節です。どこか重厚で、奥が深い感じがしませんか。これから筆者は何を言おうとしているのだろうか、何を私たちに伝えようとしているのだろうか、という思いを持たれませんか。
この「ことば」は、英語の聖書では“the Word”です。“Word”のW(ダブリュー)は大文字です。英語の文法で、文章の途中で大文字が使われるのは、固有名詞か神を表わすときです。固有名詞ではないことは明らかなので、この“Word”は神様を表しているということになります。さらに“the”という定冠詞がついています。お勉強のような話で恐縮ですが、定冠詞は、一度話題になったもの、特定されるものを指すときに使われます。以上のようなことから、この「ことば」はイエス・キリストを表しているということがわかります。
言い替えれば、「初めにキリストがおられた。キリストは神とともにおられた。キリストは神であられた」となります。イエス・キリストは初めからおられた、神と等しいお方でいらっしゃったということです。
キリストは、今からおよそ2000年前にこの世に来られました。しかし、実はそれ以前に、神として天の処にいらっしゃったのです。そのお方が、肉体を取り、人間となってこの世に来られたのです。それは、私たちを罪から救うためでした。十字架にかかって死なれることによって、アダム以来、私たち人間を縛っていた罪の縄目から解放することを目的として、キリストは神の位を捨ててこの世に来られたのです。
この神であられたキリストを信じるなら、私たちは誰でも罪が赦され、救われます。このキリストの十字架による救いは、神様によって創造されたのに、神様から離れた私たちのために、神様によって備えられたものです。あなたもぜひこの救いをお受け取りください。
教会では、毎週日曜日、午前10時半より礼拝を行っています。一週間の初めの日に、賛美歌を歌い、祈りをささげ、聖書からのメッセージに耳を傾けることは、大きな祝福となります。あなたのおいでを心からお待ちしています。