時にかなって美しい事をなさる神
伝道者の書3:11a
こんにちは。お元気でいらっしゃいますか。
毎日にように報道されているウクライナ情勢は、日を追うごとに厳しさを増しています。多くの一般市民が標的にされ、女性、高齢者、子どもの区別なく、尊い命が奪われています。戦争は本当に悲惨です。攻撃される側は甚大な犠牲を払うことは言うまでもありませんが、攻撃する側も、兵士の中に精神を病む人が続出していると聞きます。一日も早くロシア軍がウクライナから撤退し、戦争が終結して、ウクライナに平和が訪れることを願ってやみません。
この世の中、理不尽なことが多いです。なぜこんなことが起こるのか、と胸を痛める出来事が次から次へと起こります。“神がいるなら、なぜこんなことが起こるのか”という声をよく聞きます。時には、クリスチャンという人からもそのような言葉を聞くことがあり、辛くなります。
神は、なぜ私たちが禍に遭うのをお許しになるのでしょうか。それは、わかりません。ただ言えることは、神様は真実だということ、神様のなさることに間違いはないということです。旧約聖書の伝道者の書3章11節に、こうあります。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」人間の目には、“なぜ?”と思うようなことがたくさんあります。けれども、すべては神の御手の中に導かれており、時にかなって美しいのです。
神は、その独り子キリストをこの世にお送りになりました。罪のない神の子キリストは、私たちの罪のために十字架について死なれました。それは、神様がお許しになったことでした。キリストは十字架の上で、「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と叫ばれました。いつも神に信頼され、その御心に従順に従って歩んでこられたキリストが、その神から捨てられるようにして、惨い十字架につけられたのです。これこそ理不尽な事でないでしょうか。
しかし、それは神のご計画でした。罪人のかしらとも言える私たちが、罪と滅びから救われ、神の子どもとされて、この世を喜びと平安と勝利をもって生きる者にするために、神はご自分の愛する御子キリストを十字架で死なせなさったのです。神はそこまでして私たちを愛してくださったのです。
この真実な神に委ねていくなら、私たちは一番良いように導かれていきます。あなたも、ぜひこの真実な神様を知ってください。そして、思いがけない出来事に遭遇した時も、真実な神様の御手があることを信じてください。
教会では、新型コロナウイルス感染防止に努めながら、毎週日曜日、午前9時半からと11時からの二回に分けて、礼拝を行っています。どなたでもお気軽にお越しください。