新しく生まれる
ヨハネ3:3,14,15
こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか。
新年度が始まりました。満開を迎えた桜と共に、あちこちに初々しさが溢れる季節です。”新しさ”というものは、人を魅了するものです。
さて、今はキリスト教のカレンダーではレント、受難節です。キリストの十字架を深く覚え、十字架のメッセージに耳を傾けるときです。実は、キリストの十字架の中心もまた、”新しさ”です。今から2000年以上も前の古い出来事なのに、なぜ”新しさ”があるのでしょうか。キリストご自身がこのように語っておられます、「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」。「神の国を見る」とは、つまり魂の救いをいただくということですが、「新しく生まれ」るとはどういうことでしょうか。キリストはこの言葉の後に、このように言われました、「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです」。モーセは旧約聖書の人物です。彼は、イスラエルの民を率いてエジプトから脱出し、約束の地へと導き入れました。その荒野の道中、イスラエルの民が反発と不信仰を神に何度もぶつけた結果、滅ぼされようとしていたとき、彼は青銅で蛇を作り、竿の上に高く掲げました。その蛇を見上げた人は滅びから救われることができました。キリストも、このモーセが掲げた蛇のように、十字架にかかって高く掲げられました。それは、私たちが十字架のキリストを信仰の目で見上げ、救いをいただくためです。私たちは、罪のために神から遠く離れ、滅びゆく者です。体や心がぴんぴんしていても、実は魂は瀕死の状態、そのままでは確実に滅びる者なのです。そんな私たちが救われる手立てはただ一つ、キリストを信じることです。キリストを信じた者は、罪の赦しと滅びからの救いをいただくことができます。これが、新しく生まれるということです。罪と滅びの古い歩みから、永遠のいのちが約束された、平安と希望に溢れた新しい歩みへと、キリストは私たちを全く生まれ変わらせてくださいます。
あなたも、キリストの救いをいただいて、新しく生まれた者となりませんか。
教会では、新型コロナウイルス感染防止に努めながら、毎週日曜日9時半からと11時から、礼拝を行っています。あなたのおいでをお待ちしています。