十字架に現れた神の愛
ローマ5:8
こんにちは。ご機嫌いかがですか。
教会では3月2日から受難節という期間に入っています。イエス・キリストが十字架の苦しみを受けられたことを深く覚える期間です。
イエス様は、十字架につけられる前の夜、ゲッセマネの園で、ユダヤ人の指導者たちと武装したローマ兵たちによって逮捕され、徹夜の裁判を受けられました。裁判と言っても、公正に審理されるのではなく、初めから死刑に処することを目的とした裁判でした。
イエス様のその疲れきった体に鞭が当てられました。当時のローマの鞭は、その皮の先に動物の骨や金属、陶器の破片などを付けたもので、一回振り下ろされただけで皮膚が破れ、肉がえぐられるというものでした。イエス様はその鞭を何度となく受けられました。おそらくそのお体は、肉が裂け、骨が見えるほどズタズタになっていたと思われます。
その傷だらけの背中に、ささくれだった荒削りの十字架が背負わされました。そして、エルサレムの郊外、ゴルゴタと呼ばれる処刑場まで歩かされました。途中でイエス様は、疲労と傷の痛みで、何度も倒れたと言われています。
そしてついにイエス様は、十字架につけられました。左右に強盗たちも一緒に十字架につけられました。イエス様は、犯罪人の一人に数えられて、十字架刑に処せられたのです。
イエス様は、何のために十字架の苦しみを受けられたのでしょうか。イエス様は私たちと同じ人間としてこの世に来られました。しかし、私たちと違うところは、イエス様には罪が一つもなかったことです。罪のないイエス様が、あれほどの苦しみを受けて十字架で死なれたのは、私たちの身代わりだったのです。
私たちは、天地を創造された真の神様を知らず、神抜きの自分勝手な生活を続けてきました。神様から遠く離れた存在だったのです。これが聖書の言う罪です。その罪のために、私たちは滅びなければなりませんでした。
しかし、愛なる神様は私たちを憐れまれ、御子イエス様をこの世に送り、十字架につけてくださいました。イエス様は当時のユダヤ人指導者層の妬みを買って十字架刑に処せられたのですが、実は、罪びとの私たちを罪から救うための、神様のご計画だったのです。神様は、それほど私たちを愛してくださったのです。
ローマ人への手紙5章8節にこうあります。「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。」
この神様の愛は、あなたに向けられています。この受難節、イエス様の十字架に現されたこの神様の愛を受け取って、愛の中を歩む者となってください。
教会では、新型コロナウイルス感染防止に努めながら、毎週日曜日、午前9時半からと11時からの二回に分けて、礼拝を行っています。どなたでもお気軽にお越しください。