キリストこそ私たちの平和
エペソ2:14
こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか。
ロシア・ウクライナ情勢が連日ニュースを賑わせています。平和が、どれほどかけがえのないことなのかを痛感します。このことが速やかな解決へと導かれ、一人でも多くの命が失われることのないように、また、一日でも早く平和な日常へと戻るようにお祈りします。
平和が大切なことだと誰もが知っています。次の瞬間には自分や家族の命が奪われているかもしれないような状況を、好む人などいないはずです。誰もが平和を願い、平和を守りたいと考えます。しかし、困ったことに、平和は脆いものです。脅かされ、奪われやすいものです。国と国との関係から目を転じて、人と人との関係に置き換えてみても同じです。人と平和な関係を築き、保つことが大切だと、誰もが知っているはずなのに、ときにとても難しく感じることがあります。憎しみ、恨み、妬み、敵対心、競争心などがどんどん膨れ上がり、壊していくのです。なぜ、私たちの平和はこんなにも脆いのでしょうか。
聖書にこのような言葉があります、「実に、キリストこそ私たちの平和です」。キリストが私たちの平和であるとは、キリストが私たちに平和を与えてくださるということです。聖書ははっきりと語ります、罪のために、私たちは真の平和を築くことができないのだと。人は、神の像に似せて、神と平和な関係を持つ存在として創造されました。ところが、人が罪を犯したために、神との平和な関係は壊されてしまいました。なぜ、人は平和を願いながらも、平和を築き、保つことができないのか。それは、罪によって、神との平和が壊されたままだからです。しかし、このような私たちのもとに、キリストが遣わされ、十字架と復活による救いを完成してくださいました。私たちに罪の問題の解決と、神との平和な関係の回復を与えるためです。私たちは、キリストの十字架と復活を信じるだけで、この救いをいただくことができます。キリストの救いをいただいた者は、キリストの平和によって生きることができます。人とも平和な関係を築き、保っていくことができます。世界の平和のために祈り、キリストの平和を伝えていくことができます。
キリストの平和を、あなたもいただきませんか。そして、神との平和な関係が回復され、真の平和を生きる者になりませんか。
教会では、新型コロナウイルス感染防止に努めながら、毎週日曜日9:30からと11:00から、礼拝を行っています。あなたのおいでをお待ちしています。