私の避け所、私の砦
詩編91:1,2
こんにちは。ごきげんいかがでしょうか。
警察庁の発表によれば、日本における自殺者の数は年間2万件を越すのだそうです。これほどまでの人が、自ら命を絶つという選択肢を選ばざるを得ない状況に追い込まれていることに、胸が張り裂けそうになります。自殺者の多くは、誰にも頼ることができず、どこにも助けを求めることができなくなったのだ、と聞いたことがあります。自殺は、彼らが孤独と絶望の果てに、最後に辿り着いた選択肢なのです。私たちも、孤独や絶望に直面したとき、誰かに頼り、どこかに助けを求めることができたなら、どれほど幸せでしょうか。
聖書は、私たちが頼ることのできる相手、助けを求めることのできる相手が誰なのかを、はっきりと教えてくれます。それは、神様です。聖書にこう書かれています、「いと高き方の隠れ場に住む者 その人は 全能者の陰に宿る。私は主に申し上げよう。『私の避け所 私の砦 私が信頼する私の神』と」。私たちを孤独や絶望に追いやり、ついには死にまで追い込んでしまうものは何でしょうか。様々な状況があるでしょうが、その答えは、究極的にはある一言に行き当たります。罪です。私たちの中に罪がはびこっているために、私たちは孤独や絶望にさいなまれるのです。ですから、神様の元から遣わされたキリストが、十字架と復活によって罪に勝利をとってくださいました。キリストを信じ、キリストの十字架と復活による救いをいただくとき、私たちは罪から解放され、孤独と絶望にも信仰によって勝利をとることができます。先にお読みした聖書の言葉にあった「いと高き方の隠れ場に住む者」「全能者の陰に宿る」人とは、このキリストによる救いを確かに受け取り、信仰によって歩む者のことです。「私の避け所 私の砦 私が信頼する私の神」とは、救われた者が神様にささげる信仰告白なのです。
孤独と絶望は、いつどこで私たちに牙を剥いてくるかわかりません。しかし、神様を信じ、神様を避け所、砦と告白することのできる人は、決して負けません。あなたも、キリストの救いをいただいて、神様を信じる者となりませんか。
教会では、新型コロナウイルス感染防止に努めながら、毎週日曜日9時半からと11時から、礼拝を行っています。あなたのおいでをお待ちしています。