キリストの平安
ヨハネ14:27
こんにちは。ご機嫌いかがですか。
何が起こってくるかわからない今の世の中、誰もが平安を求めています。どうしたら平安を得ることができるでしょうか。何を得たら、平安でいることが出来るでしょうか。
ヨハネの福音書14章27節に、こういうイエス・キリストのみことばがあります。「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。」
どうしたら平安でいることが出来るでしょうか。財産があれば平安でしょうか。イエス様がこういう例え話を語られました。ある金持ちの畑が豊作でたくさんの収穫がありました。彼は、どこに収穫物を収納しようかと悩んだ末、今の倉庫を壊して、もっと大きい倉庫を建て、そこに収納しようと思いつきました。そして、こう言ったのです。「わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。」すると神様が言われました。「愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」
その金持ちは、財産があれば自分の将来は安泰だと思ったのでしょうが、神様は、いつ朽ちるかわからない地上の財産は、決して人に平安をもたらさないことに気づかせようとされたのです。財産だけではありません。地位も名誉も、この世で人が依って立ちたいと願うものは、それらが世に属するものである限り、私たちに真の平安を保証してはくれないのです。
キリストは「わたしの平安を与えます」と言われます。キリストの平安、キリストだけがお与えになる平安を下さると言われるのです。それは、富や地位や名誉といった外側からのものによって得られる平安ではなく、キリストが私たちの内側に与えてくださる平安、魂の平安です。
キリストは罪のない神様の御子でしたが、私たちのために十字架にかかって死なれました。私たちの傲慢、自己中心…などの罪のためです。私たちがキリストの十字架を信じるなら、すべての罪が赦され、私たちは救われます。その時、私たちは初めて、内側に本当の平安を得ることができます。
この平安は、この世が与えるような、すぐになくなってしまう、一時的なものではありません。動くことのない深い平安です。あなたもこの平安を内に持つことができます。今、キリストのところにおいでください。
教会では、8月29日(日)午後3時より、森繁昇サマーコンサートを開きます。この新型コロナウイルス感染拡大が続く中ですので、無観客で行い、ライブ配信をします。時間になりましたら、宝塚栄光教会のホームページからご覧ください。あなたのご視聴をお待ちしています。