朽ちない冠を受けるために
Ⅰコリント9:24,25
こんにちは。ご機嫌いかがですか。
いよいよオリンピックが始まりました。コロナ禍での開催には様々な制約と課題がありますが、どの国の選手たちも十分に実力を発揮して、全てのプログラムが最後まで無事に進んでほしいと心から願います。
さて、スポーツの世界では当たり前のことですが、アスリートたちは必ず目標設定をします。”次のオリンピック出場を目指して”というように、具体的で明確な目標を設定します。目標もなしに、弛まない努力はできませんし、何よりも、努力の後に約束されている成果を手に入れることができないからです。
聖書にもこうあります、「競技場で走る人たちはみな走っても、賞を受けるのは一人だけだということを、あなたがたは知らないのですか。ですから、あなたがたも賞を得られるように走りなさい。競技をする人は、あらゆることについて節制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです」。ここで、競技で走ることが比喩として用いられています。「朽ちない冠」とはどういうことでしょうか。これは、永遠の命のことです。イエス・キリストを信じて救われ、神様を信じた者たちは、残りの人生をあたかもアスリートが競技場のトラックを走り抜けるようにして生きます。こう言いますと、”そんな人生はつまらない”、”人生を満喫した生き方をするべきだ”という声が聞こえてきそうですが、神様を信じる者たちは、人生を走り抜けた先に、永遠の命という冠があることを知っているのです。キリストの救いを知らない人たちは、この地上での日々をどう楽しむか、どう満喫するかに心血を注ぎますが、この地上での日々が終わった後、どうなってしまうかについては無頓着です。しかし、キリストの救いにあずかり、神様を信じている人たちは、この地上での日々が終わった後、永遠の命をいただくことができるという約束を持っているのです。
オリンピックの競技場は、選ばれた人しか走ることができませんが、永遠の命を目指した人生という競技場は、誰でも走ることができます。あなたも、永遠の命という朽ちない冠を受けるために走り抜く者になりませんか。
教会では、新型コロナウイルス感染防止に努めながら、毎週日曜日午前9時半からと11時から、礼拝を行っています。あなたのおいでをお待ちしています。