イエス様という岩の上に土台を据えて
マタイ7:25,27
こんにちは。ご機嫌いかがですか。
7月に入りましたが、梅雨明けはまだもう少し先のようですね。雨は、「恵みの雨」とも言われますが、降り方次第では脅威になります。昨今のゲリラ豪雨や集中豪雨による被害がそれを物語っています。
さて、イエス様も雨の被害を例えに挙げて語っておられます。二人の人が家を建てました。一人は砂地に建て、もう一人は岩地に建てました。砂地に建てられた家は、「雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした」。しかし、岩地に建てられた家は、「雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。」
ここに、私たちの心のことが語られています。家とは、私たちの心のことです。土台とは、文字通り、私たちの心の土台、心のよりどころです。私たちの心には、様々な人生の雨が降ります。雨足が強まり、土砂降りになることもあります。風が吹き付け、洪水が押し寄せるようなことがあるかもしれません。イエス様という堅固な岩を心の土台としている人は、どんな雨に見舞われても、心を潰されることなく、しっかりと生きていくことができます。しかし、そうでない人は、耐えられず、ぺしゃんこになってしまうのです。ぺしゃんこになっても、また建て直せばよいのですが、今度はぜひとも土台を堅固に建ててほしい、というメッセージもここには含まれています。
ここで言われるイエス様という岩とは、イエス様を信じる信仰のことです。イエス様は十字架にかかって死に、死から復活してくださいました。それは、私たちに魂の救い与えるためでした。この十字架と復活が自分のためだったと信じることによって、私たちは救われることができます。はっきりと救われた者は、心の中に決して揺るがない信仰を据えることができます。この信仰は心の中でどっしりとした土台となり、どのようなところを通っても、いつも心を支えてくれます。
あなたの心は何が土台になっていますか。揺るがない土台を据えていますか。イエス様という決して揺るがない土台を据えた生き方を始めませんか。
教会では、新型コロナウイルス感染防止に努めながら、毎週日曜日9時半からと11時から、礼拝を行っています。あなたのおいでをお待ちしています。