天の故郷に希望をいだいて
ヘブル11:16
こんにちは。お元気でいらっしゃいますか。主任牧師の岩間 洋です。
先日、大分市に住む私の妻の母が、94歳の生涯を終えて、天に召されました。昨年9月に危篤に陥り、妻と私が宝塚から駆けつけ、以前から本人や同居していた家族と約束していた通り、病床洗礼を授けて、クリスチャンとなりました。ですから、母は確実に天国に行ったのです。
新約聖書ヘブル人への手紙11章16節にこうあります。「しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。…神が彼らのために都を用意されたのです。」
私たちは、皆やがて死を迎えます。そこには例外は全くありません。死ぬことなんか考えたくもないと思って、どんなに考えまいとしても、厳然たる事実として、死は容赦なく訪れます。
人はなぜ死を恐れ、忌み嫌うのでしょうか。死の向こうにどんな世界が広がっているかわからないからです。あるいは、自分は絶対者によって裁かれるのではないかと思うからです。
聖書に最初に死が登場するのは、罪を犯したアダムに対する神様の裁きの言葉の中です。神様は彼に「土に帰る」「ちりに帰る」と言われました。死の起源です。人はなぜ死ななければならないか。その問いに対する答えは、罪を犯したからということです。
しかし、キリストはこの罪と死の問題に解決を与えてくださいました。キリストは、私たちの罪のために身代わりに十字架で死なれ、三日目によみがえられました。このキリストを信じる者は、罪の赦しと、永遠のいのちが与えられます。そして、もう死を恐れることがなくなります。
私たちは、死んでおしまいになるのではありません。死の向こうにはさらにすぐれた天の故郷が備えられています。キリストの十字架を信じて罪が赦された人は、皆、この故郷に帰ることができるのです。この希望こそ平安で過ごすための何よりの秘訣です。
あなたにもぜひこの希望を持っていただきたいと、心から願います。
教会では、新型コロナウイルス感染防止に努めながら、毎週日曜日午前9時半からと11時から礼拝を行っています。あなたのおいでをお待ちしています。