新しく造られた者
2コリント5:17
あけましておめでとうございます。あなたはどのような新年を迎えておられるでしょうか。
年が明けると、全てが全く新しくなったような気がします。一年の計は元旦にあり、と言いますが、年の初めに、新たな希望や抱負をいだかれた方も多いでしょう。今年こそこのように進んで行こう、今年こそこれを実行したい、というように決心を固くして出発された方もおられるでしょう。しかし、水を差すようで恐縮ですが、多くの場合、三日坊主に終わってしまうことが多いのではないでしょうか。
新しくなるとは、どういうことでしょうか。ただカレンダーが新しくなるとか、日記帳の第1頁に書き始めるとかいうことではないようです。大切なことは、何が新しくなるか、ということでしょう。聖書にこうあります。「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」コリント人への手紙第二5章17節の御言葉です。「その人は新しく造られた者です」とあります。その人とは、人間の中心とも言うべき、私たちの魂の部分です。ここが新しくならなければ、本当には新しくなりません。
では、どうしたら魂が新しくなるでしょうか。「だれでもキリストのうちにあるなら」、ここがポイントです。キリストのうちにあるとは、キリストを信じるということです。キリストを信じるならば、すべての罪が赦され、救われます。この救いをいただいた者が、新しく造られたものになるのです。こうして、内側が新しくされるとき、私たちは、初めて新しい歩みを始めることができます。今までは短気で、忍耐できなかった人が、我慢強く事に当ることができ、冷淡だった人が、愛に満ちた人になり、自己中心だった人が、他人を思いやることができる人になります。そればかりではありません。今まで自分のために生きてきた生き方が、自分を愛してくださって、自分のために十字架にいのちを献げてくださったキリストのために生きる生き方に変えられるのです。
そんな虫のいいこと…と思われるかもしれません。しかし、本当なのです。キリストを信じ、はっきりと救われて、魂が新しくされた人は、本当に生き方がガラリと変わってしまうのです。あなたも全く新しくされたいとお思いになりませんか。
新年は、私たちを新鮮な思いにしてくれます。しかしただ年が改まるだけではなく、キリストによって私たちの内側が新しくされ、新しい歩みを踏み出させていただきましょう。
教会では、新型コロナウイルス感染防止に注意しながら、毎週日曜日午前9時半からと11時から礼拝を行っています。あなたのおいでをお待ちしています。