堅く立って
ピリピ4:1
こんにちは。ご機嫌いかがですか。
ピリピ人への手紙シリーズ第25回は、4章1節です。こうあります。「ですから、私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ。このように主にあって堅く立ってください。愛する者たち。」
「主にあって堅く立ってください」という言葉に心が惹かれませんか。激動の世の中です。政治の世界も経済界もめまぐるしく動いています。私たちの身近な社会も、天災が続き、凶悪犯罪が頻発し、新型コロナウイルス感染拡大がまた勢いを増し、何が起こるかわからない不安定さで満ちています。そういう中で、私たちは、何とも言い難い不安に包まれています。はたしてこの時代にあって、堅く立つことができるのでしょうか。財産があればできるでしょうか。健康であれば、仕事が順調に進めば大丈夫でしょうか。
「主にあって」という言葉がポイントです。私たちは、自分の力では堅く立つことはできません。財産も名誉も地位も、また健康も仕事も、私たちをいつまでも安心させる材料にはなりません。「主にあって」、つまりイエス・キリストの救いをいただいた者が、その恵みによって、真に堅く立つことができるのです。
神のかたちに創造された私たちは、神の祝福を十分にいただいて、神との豊かな交わりの中に生きるはずでした。しかし、罪を犯したため、私たちは神の祝福を受けられない者になりました。神の愛を踏みにじり、神に従うことを嫌い、自分の思いのままに生きようとする者になったのです。これが罪です。その罪のために、私たちは、滅びなければなりません。
しかし、愛なる神は、そんな私たちのために、御子キリストをこの世に送り、私たち罪人の身代わりとして、キリストを十字架におかけになりました。この事実を知り、自分がいかに罪深い者だったかを認めて、神の前に罪を悔い改め、キリストの十字架を信じるなら、だれでも、どんな罪も赦されます。罪が赦された魂には、永遠のいのちが与えられ、喜びと平安があふれ、神との豊かな交わりの中に回復されます。これがキリストの救いです。
この救いをいただいた者は、少々の困難や試練には動じません。むしろ、主を信じる信仰をもって、困難や試練に果敢に立ち向かっていくことができます。これが、本当の意味で堅く立つことができる者です。私には無理だ、と思ってはなりません。神はあなたもそうなれると約束されます。そのようにさせてくださいと求めていきましょう。要は魂の救いです。あなたの上に主の祝福がありますように。
教会では、新型コロナウイルス感染防止に注意しながら、毎週日曜日午前9時半からと11時から礼拝を行っています。あなたのおいでをお待ちしています。