前のものに向かって身を伸ばし
ピリピ3:13,14
こんにちは。ご機嫌いかがですか。
ピリピ人への手紙シリーズ第21回は、3章13,14節です。こう書かれています。「兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。」
パウロというと、いつも走っている姿を想像します。忙しそうにバタバタ走り回っているというのではなく、顔をキッと前に向けて、ひたむきに走っている姿です。ここでも彼は、「前のものに向かって身を伸ばし、…目標を目指して走っているのです」と言っています。8節で彼は、「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。」と言いました。絶大な価値があるキリストの全き救いをいただいたら、あとは、前を見て目標を目指して走り続けていく、と、ここでパウロは言うのです。
キリストの全き救い、つまり、過去の罪がキリストの十字架によって赦されるばかりではなく、その後もなお神に逆らう古き人が十字架で始末され、キリストを内にお宿しするという聖潔の恵みまでの完全な救いをいただいたら、もうそれでいいではないか、と思うかもしれません。しかし、彼はそうではありませんでした。なおも前のものに向かって身を伸ばしつつ、目標を目ざして走っていたのです。
では、彼の目標とは何でしょうか。「キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞」です。つまり、キリストと同じ栄光の姿で天の御国に召していただくという希望です。栄光の「栄」に変化の「化」と書いて、栄化の望みと言います。この世の終わりに、キリストはもう一度私たちのところに来られます。キリストの再臨です。そのとき、キリストの救いに与った者は、一瞬にしてキリストと同じ栄光の姿に変えられ、御国に携え上げられます。これが栄化です。キリストの十字架によって罪が赦され、義とされ、さらに十字架の血潮によって聖くされた者に与えられる希望です。パウロは、これを得ることを目標にして、ひたむきに走っていたのです。
私たちも、そのように走りたいですね。まず、キリストの十字架を信じて救われて、さらに全く聖くされて、栄化の望みを確かにしていただけるよう、前に向かって追い求めていきましょう。主は必ず与えてくださいます。
教会では、新型コロナウイルス感染防止に注意しながら、毎週日曜日午前9時半からと11時から礼拝を行っています。あなたのおいでをお待ちしています。