事を行わせてくださる神
ピリピ2:13
こんにちは。ご機嫌いかがですか。
ピリピ人への手紙シリーズ第16回は、2章13節です。こうあります。「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。」
励ましに満ちた御言葉です。自分のうちにある志、願いを、神様が実現させてくださるというのですから、嬉しくなります。しかし、ともすると、自分の都合の良いように解釈する危険があります。神様は、私たちの願いを何でもかなえてくださるというのでしょうか。
この御言葉の前に、パウロは、「自分の救いを達成するよう努めなさい」と言いました。“自分の魂が完全な救いを得るために、努めて主に従いなさい”という勧めです。そして、「あなたがたのうちに働いて志を立てさせ」と続くのですから、その志とは、自分の救いの達成のことだということがわかります。つまり、神様は、私たちがキリストの十字架による全き救いをいただきたいという願いを起こさせ、その願いを実現させてくださるというのです。
私は、今は亡き小島伊助という先生から、聖潔(きよめ)は3つのシジョウ命令だと教えられました。まず、至上命令、神の上からの絶対的なご命令です。「われ聖なれば、汝らも聖なるべし」と神様は言われました。聖書の命令は約束です。神様は無理な注文はなさいません。「聖なるべし」と言われたということは、私たちが聖なる者となることができるということです。
次に、聖潔は史上命令、歴史上の命令です。キリストが十字架にかかって死なれたというのは、動かすことが出来ない歴史上の事実です。同様に、私たちの全き救いは十字架の上で成し遂げられているということも、動かせない歴史上の事実です。
最後に、聖潔は私情命令、私の心の底からの思いです。きよくなりたいというのは、救われたクリスチャンなら誰でも抱く願いです。はっきりと救われた人で、汚れたままでいいと思う人は一人もいません。もしいたとしたら、その人は救われていない人です。十字架の愛を知ったら、そこまで愛してくださった神様に喜ばれる者になりたいと願わないはずがないではないですか。
神様は、私たちのうちに、きよくなりたいという願いを起こさせ、必ず実現に至らせてくださいます。キリストが十字架で死なれたように、私たちも、古い自分が十字架で死んで、キリストが復活されたように、私たちも復活のキリストに内に住んでいただいて、きよくされた者として歩む者となりましょう。
教会では、新型コロナウイルス感染防止に注意しながら、毎週日曜日午前9時半からと11時から礼拝を行っています。あなたのおいでを心よりお待ちしています。