見ないで信じる幸い
ヨハネ20:29
イースター、おめでとうございます。私たちの救い主イエス・キリストのご復活を心からお祝いいたします。
ある人がこう言いました。“キリスト教で受け入れられないものの一つが、キリストの復活だ”と。確かに、死んだ人が復活するなど、人間の理性では受け入れられないことです。けれども、考えてみてください。イエス様は私たちと同じ人間としてこの世に来られましたが、神の御子でした。そのお方が、死んでそのままおしまいになった、と思うことこそ、不合理ではありませんか。
イエス様が復活されたとき、やはり“信じられない”と言い張った弟子がいました。トマスという弟子です。イエス様が十字架で死なれ、三日目によみがえられた朝、弟子たちはみな、失望と恐怖と不安に囲まれて、震えながら家に閉じこもっていました。すると、よみがえられたイエス様が彼らの中に立たれました。驚く彼らに、イエス様が手と脇の傷を見せながら、ご自分がイエスであることを示されました。弟子たちが、大変な喜びに包まれたことは言うまでもありません。
ところがそこに、トマスは居合わせませんでした。彼が帰ってくると、ほかの弟子たちがみな、“復活されたイエス様にお会いした”と言いながら喜んでいます。彼は、“そんなこと信じられるか。僕はその手の釘跡に指を差し入れ、脇の傷に手を差し入れるまでは、決して信じない”と主張したのです。
数日後に、イエス様が再び家に来られました。イエス様はトマスに、“さあ、あなたの指をわたしの釘跡に、あなたの手をわたしの脇の傷跡に差し入れてみなさい”と言われました。もちろんトマスは、そうするまでもなく、その場にひれ伏して、自分の不信仰を悔い改め、イエス様が復活されたことを信じました。そのとき、イエス様は静かにこう言われました。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」ヨハネの福音書20章29節のみ言葉です。
見て信じるのは信仰ではありません。見ないでも信じるのが信仰です。イエス様は、私たちの罪のために死なれ、私たちの罪をお赦しくださいました。またイエス様は、三日目に墓の中から復活され、私たちに新しいいのちをお与えくださいました。イエス様の十字架と復活を信じる者には、罪の赦しと永遠のいのちが与えられます。そして、罪と死とサタンに勝ちつつ進んでいく者になります。見ないで信じる者に与えられる幸いです。あなたもぜひ、この幸いをいただいてください。
なお、18日(土)午後に計画されていました「はっぴぃイースター in 宝塚」のつどいは、新型コロナウイルス感染拡大が続く中ですので、中止とさせていただきます。このウイルス感染拡大が一日も早く終息するようにお祈りいたします。