福音
ピリピ1:3-5
こんにちは。ご機嫌いかがですか。
パウロの書いたピリピ人への手紙を連続して学び始めています。1章3~5節にこうあります。「私は、あなたがたのことを思うたびに、私の神に感謝しています。あなたがたすべてのために祈るたびに、いつも喜びをもって祈り、あなたがたが最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝しています。」
パウロは、ピリピの教会の人たちのために神様に感謝しています。何を感謝しているのでしょうか。彼らが今まで福音を伝えることに携わってきたことを感謝しているのです。
福音とは、イエス・キリストの十字架と復活によってもたらされる良き知らせ、グッド・ニュースのことです。最近はやりの「ゴスペル」も、本来は福音という意味の言葉です。
私たちは、神様に愛されているにもかかわらず、神様に背を向け、自分勝手な、わがまま放題の生き方をしてきました。罪を罪とも思わず、滅びることも知らずに、自己中心のかたまりのような歩みをしてきました。そんな私たちを、神様はあわれんでくださり、御子キリストをこの世に遣わされました。キリストは罪なき神の御子であられたのに、むごい十字架にかかられました。私たちのためです。罪のために滅び行く者であった私たちが、滅びなくてもいいように、神の御子キリストが十字架で血を流してくださったのです。
私たちが自分の罪を悔い改め、キリストの十字架がこの自分のためだったと信じるなら、誰でも、どんな罪からも救われます。何か一生懸命頑張らなければ、功徳を積まなければ、功績を上げなければ救われない、というのではありません。もしそうだったら、頑張ることができるごく一部の人しか救われないことになります。そうではなくて、悔い改めて信じるだけで、誰でも救われるのです。これが福音です。
ピリピの教会の人たちは、この福音によって救われ、さらに「最初の日から今日まで」この福音を伝えることに携わってきたのです。福音を聞いて、信じて救われて以来、ほかの人々にもこの嬉しい知らせを伝えたいと願って、歩み続けてきたのです。
あなたもキリストのグッド・ニュースを受け取られませんか。罪からの救いをいただき、平安と喜びの人生を始めませんか。そして、他の人々にもこの福音をお伝えしませんか。
教会では、毎週日曜日、午前10時半から礼拝を開いています。礼拝はどなたでもご参加いただける開かれた集いです。あなたのおいでをお待ちしています。