心のきよい者
マタイ5:8(2)
こんにちは、お元気でいらっしゃいますか。
先週お読みしたマタイの福音書5章8節をもう一度お読みしましょう。「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。」
イエス・キリストは、「心のきよい者は幸いです」と言われました。心がきよいとは、どういうことでしょうか。きよい心とは、どういう心でしょうか。優しい心とか、清純な心ということよりも、罪が取り除かれている心という意味です。
私たち人間は、神様の手によって、神のかたちに造られたものです。それは、神様との自由な、親しい交わりの中を生きる者として造られたということです。ところが、人間は罪を犯し、神様から離れてしまいました。神抜きで、自分勝手に生きる者になってしまったのです。その結果、人間は暴力を振るったり、偽ったり、欺いたりする者になりました。そして、ついには滅びなければならなくなってしまったのです。
そのような哀れな私たちを、それでも神様は愛してくださり、御子イエス・キリストをこの世に遣わしてくださいました。イエス様は何の罪もないお方だったのに、十字架にかかって死なれました。それは、罪を犯して神様から離れ、滅びるばかりになった私たちの身代わりでした。神様は、私たちを罪と滅びから救うために、御子イエス様を十字架におかけになったのです。
この神様の愛を知って、自分の罪を悔い改め、イエス様がこの自分の罪のために十字架で死んでくださったと信じるなら、私たちは、全ての罪が赦され、心がきよくされます。そのような心にされた人が幸いだと、イエス様はおっしゃっているのです。
十字架で罪が赦され、きよい心にしていただいたら、神様を愛し、神様の御言葉に喜んで従っていく者になります。また人を愛し、自分の事よりも人の事を先に考える者になります。私たちも、イエス様を信じて、魂の救いをいただいて、心のきよい者にしていただきましょう。
是非一度、教会においでください。教会では、毎週日曜日、朝10時半から礼拝を開いています。礼拝は、どなたでもおいでいただける、開かれた集いです。あなたを心から歓迎いたします。