すべての民に与えられる大きな喜び
ルカ2:10、11
クリスマスおめでとうございます。私たちのために救い主キリストがお誕生になったことを、心から感謝します。
クリスマスは嬉しい時です。しかし、ともすると賑々しい雰囲気に流されてしまやすいです。ここで、クリスマスとは何だろうと、静かに問い直してみることは、大切なのではないでしょうか。
今からおよそ2000年前の、世界で初めのクリスマスは、決して華やかなものではありませんでした。臨月を迎えたマリヤは、どの宿屋も満室で泊まれなかったため、家畜小屋に身を休め、イエス・キリストを産みました。赤ん坊のキリストは、布にくるまれて粗末な飼い葉桶に寝かされました。なんと貧しいクリスマスの光景でしょうか。しかも、最初の祝い客は、名もない羊飼いたちでした。
クリスマス・ツリーもプレゼントもありません。しかし、そこには本当の喜びがありました。羊飼いたちがやってきたのは、その夜、野宿をしているときに、御使いから知らせを聞いたからです。御使いは彼らにこう言ったのです。
「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」ルカの福音書2章10,11節の御言葉です。
神の御子が貧しい家畜小屋で産声を上げられたニュースは、忘れ去られたような存在の羊飼いたちに真っ先に伝えられたのです。救い主の誕生は、「すべての民に与えられる大きな喜び」でした。もしキリストが、立派なお屋敷で生まれ、豪華なベッドに寝かされ、名士たちの祝福の訪問を受けておられたら、富や地位のあるごく一部の人々のためだけの救い主になっておられたでしょう。
しかし実際は、むさ苦しい家畜小屋で生まれ、粗末な飼い葉桶に布でくるまれて寝かされ、無名の貧しい羊飼いたちの訪問を受けられたからこそ、キリストは、すべての私たちのための救い主となられたのです。
私たちも、このクリスマスを心から喜んでお祝いしましょう。私のために、私を罪と滅びから救い出すために、神様の栄光を捨てて、貧しいお姿になって下られた御子のご降誕を、共に喜びましょう。
なお、このメッセージは、25日(水)午前中までとさせていただきます。