心の貧しい者
マタイ5:3
こんにちは。お元気でいらっしゃいますか。
聖書を初めてお読みになる方は、たいていマタイの福音書から始められるでしょう。そして、おそらく、最初に出会う感動的な御言葉は、これだと思います。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」新約聖書、マタイの福音書5章3節の御言葉です。
感動的ですが、不思議な御言葉です。私も、まだ教会にも行っていない頃、この御言葉に出くわした時、驚きました。私は両親が教師の家庭に生まれ、親から口癖のように“心の豊かな人になりなさい”と言われて育ちました。それなのに、キリストは、全く逆のような事を言われるのです。
後で分かったのですが、聖書の言う「心の貧しさ」とは、“貧困、貧弱”という意味ではありません。聖書の言う「心の貧しさ」とは、心の謙(へりくだ)った状態のこと、謙遜な心のことです。謙遜の反対は何でしょう。傲慢ですね。おごり高ぶって、“自分はこれでいいのだ、どこも悪くない”と思っている人は、およそ天国から遠いのです。自分がいかに駄目な人間か、いかに罪深い者かが分かって、“このままでは駄目です”と謙って求めていく人こそ、天国に近いのです。
キリストは、マタイの福音書9章12節で、「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。」と言われました。自分の罪を認め、悔い改めて主の前に出ようとする魂を、キリストは十字架の贖いで救ってくださるのです。
神様は、心の低い、砕かれた魂を喜んでくださいます。旧約聖書の詩篇34篇18節に「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ 霊の砕かれた者を救われる。」とあります。私たちはどうでしょうか。知らないうちに傲慢になってはいないでしょうか。その高ぶった心こそ、神様に対する罪です。その罪のために、キリストは十字架にかかってくださったのです。
罪を悔い改めて、キリストの十字架を信じれば、すべての罪が赦されます。そして、謙った者、心の貧しい者にされ、神様に愛される者にしていただくことができます。あなたも、そういう者にされたいと思われませんか。
教会では、毎週日曜日、午前10時半より礼拝を行っています。礼拝は、クリスチャンであるなしにかかわらず、どなたでもおいでいただける開かれた集会です。
また、9月22日(日)午後3時より、チャペルコンサートを開きます。友枝良平さんによるオカリナコンサートです。入場無料です。お気軽にお越しください。お待ちしています。