なくならない希望
Ⅰペテロ1:3,4
こんにちは。お元気でいらっしゃいますか。
私たちが好む言葉に、「希望」という言葉があります。「希望」と聞くだけで、胸が膨らみます。
では、私たちの希望とは何でしょうか。キリストのしもべであったペテロは、このように言いました。「私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。また、朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これらは、あなたがたのために天に蓄えられています。」(ペテロの手紙第一1章3,4節)
「生ける望み」と言っています。死んだ望みではない、あてにならない、その場限りの、いい加減な希望ではない、確かな希望です。どんな希望でしょうか。朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださったということです。
私たちは、この社会の中で、一生懸命働いて、少しでも多く富を得ようとします。しかし、たとえいかに莫大な富を築いても、いのちあってのものです。死んでしまったら、おしまいです。せいぜい家族に幾ばくかの遺産を残せるだけで、死の向こうには1円たりとも持っていくことができないのです。
けれども、神様が私たちに約束してくださっている資産は、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない永遠の資産です。それは、イエス・キリストの贖いを通して与えられます。キリストは、罪のない神の御子でしたのに、むごい十字架に付けられて死なれました。それは、私たちの罪のためでした。
私たちは、きよい神様の前に、一人残らず罪人です。そのままでは滅び行く者です。しかし、そうならないように、神様は独り子キリストを十字架におつけになったのです。私たちが、自分の罪を悔い改め、キリストの十字架がこの自分のためだったと信じるなら、誰でも、どんな罪でも赦され、私たちは救われます。そして、永遠のいのちが与えられ、天国に莫大な富を約束された者になるのです。
あなたのためにも、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない天の資産が約束されています。せっかくの恵みを、ショーウィンドウの商品に終わらせないで、自分のものにされませんか。
教会では、毎週日曜日、午前10時半より礼拝を行っています。礼拝は、クリスチャンであるなしにかかわらず、どなたでもおいでいただける開かれた集会です。あなたのおいでをお待ちしています。