試練にあっても
1コリント10:13
こんにちは。ご機嫌いかがですか。
私たちの回りには、なぜこんな辛いことが起こるのかと思うことがたくさんあります。しかし、神様の真実は疑うべきではありません。新約聖書コリント人への手紙第一10章13節にこうあります。
「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」
今、実際に大きな試練の中を通されている方は、“これが耐えられない試練ではないなどと、どうして言えますか”、と反論されるかもしれませんね。確かに、この世の常とは思えない、耐え難い試練を経験することがあります。しかし、どんな苦しい試みの中でも、主の顧みが失われることはありません。
私たちの主イエス・キリストは、私たちと同じ人となり、罪を除いては、私たちの経験する試練をことごとく味わってくださいました。神の栄光を捨てて、十字架にかかられました。頭には茨の冠をかぶせられ、両手両足を釘付けにされ、罵られ唾を掛けられ、ついに「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれ、神からさえも捨てられてくださいました。その苦しみは、みな私たちの罪のためでした。
傲慢で、わがままで、愛のかけらもない、こんな私のために、罪のない神の子イエス様が、あのような苦しみを受けてくださったのです。それほど私たちを愛してくださったのです。何という愛でしょうか。
このキリストの愛を知れば、私たちは、どんな試練にも耐えることができるのです。自分の罪を悔い改め、キリストの十字架がこの自分のためだったと信じて、罪が赦された人は、少々の試練には押し潰されたりしません。それどころか、果敢に戦って、堂々と勝利を収める人生を歩むことができるようになります。
もしあなたが、今大きな試練の中におられるなら、キリストのもとにおいでください。そして、あなたも、どんな試練の中でも神様の真実によって守られる幸いをいただいてほしいと願います。
教会では、毎週日曜日、午前10時半から礼拝を行っています。賛美歌を歌い、牧師が語る聖書からのメッセージを聞きます。どなたでも集っていただける開かれた集会です。あなたのおいでを心からお待ちしています。