天の住まいの希望
ヨハネ14:2,3
こんにちは。ご機嫌いかがですか。
人は多くの場合、自分の最期の事をあまり深く考えていません。今の時を楽しく、有意義に過ごすことを最優先に求めます。しかし、不慮の事故にあった時や、思いもよらなかった病魔に侵された時、いやがうえにも自分の死と向き合わされます。そして、自分が可哀そうになって境遇を嘆いたり、運命だと諦めたりします。
教会で毎年夏にお迎えしてコンサートを開いている森繁 昇さんの歌に、“死ぬのに若すぎることはない”という意味の歌があります。このメッセージをお聞きのあなたは、若い方なのか、ご高齢の方なのかわかりませんが、若いからと言って死ぬことはまだまだ遠い先の事とは限りませんし、高齢だからと言って死はすぐ近いとも限りません。人のいのちは神様だけがご存じで、私たちが勝手に推し量ることなどできないのです。変な言い方かもしれませんが、私たちは老いも若きも、死と隣り合わせて生きているのです。
暗い感じのお話になりました。しかし、私たちには明るい希望があるのです。イエス・キリストの言葉をお聞きください。「わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。」ヨハネの福音書14章2節、3節の御言葉です。キリストが十字架におつきになる前の夜、最後の晩餐の席上で、弟子たちに語られた言葉です。“まもなく私は、おまえたちの手の届かない所に行くが、おまえたちのために天国の住まいを用意しに行くのだ”と言われたのです。
私たちは、皆、いつかはこの世の生涯を閉じなければなりません。死ぬことを免れることは、誰にもできません。しかし、死んでおしまいになるのではありません。その先に、輝かしい天の住まいが備えられているのです。
私たちは罪人ですから、本当は天国には入れません。しかし、罪を悔い改め、キリストの十字架を信じれば、誰でも、どんな罪も赦され、天国に入れます。キリストはそのために十字架にかかって死んでくださいました。十字架で死なれたキリストは、三日目によみがえられ、死にうち勝たれました。信じる者に永遠のいのちを与えて、とこしえの御国、天の住まいを保証してくださいました。
この天の住まいこそ、私たちの大きな希望です。キリストは、あなたのためにも、天の御国を用意していてくださいます。信じましょう。
ぜひ一度教会にお越しください。心からお待ちしています。