不思議な選び
ヨハネ15:16
こんにちは。ご機嫌いかがですか。
国会や県議会、市議会などの議員さんは、国民や住民の直接選挙で選ばれます。選挙運動中は立派な公約を掲げ、満面の笑みで手を振り、握手の手を差し伸べても、当選してしまうと、もうこっちのものとばかりに、私利私欲の塊になる、という図式を、いやというほど見せられます。選ばれた人は、それだけの資質があるかどうかが問われるということを、謙虚に受けとめるべきです。
選びと言えば、私たちは、神様によって選ばれています。イエス・キリストは言われました。「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました」と。ヨハネの福音書15章16節です。
私たちに、何か選ばれるだけの値打ちがあったでしょうか。いいえ、ありません。何か他の人より優れたところがあったでしょうか。いいえ、ありません。それより、私たちは神様に対して罪を犯し、滅びゆく者でした。神様を神様とも思わず、傲慢になり、平然と罪を犯し続けていました。光よりも闇を愛していました。しかし、そんな私たちのために、キリストは十字架にかかって死んでくださいました。この十字架のゆえに、神様は私たちを選んでくださったのです。
神様の選びは不思議です。神様の益になるような者を選ばれたのではなく、何の益にもならないような、この世で無きに等しい者を、あえて選ばれたのです。それは、私たちが自分を誇らないためだと、聖書は言っています。ちょっとしたことで傲慢になりやすい私たちですが、選ばれるだけの何も持ち合わせていないのに、神様は、ただキリストの十字架の贖いによって、私たちを選んでくださったと思うとき、感謝せざるをえません。
もしあなたが、“どうせ私なんか、いてもいなくてもいいんだ”なんて思っておられるなら、このことを知ってください。あなたは神様に選ばれているということを。傲慢になってはいけませんが、いたずらに卑下する必要もありません。神様は、目的をもってあなたを選んでおられます。あなたが神様を愛し、神様に従い、神様の御名を誉め称えるためです。この不思議な選びを感謝しましょう。
教会では、毎週日曜日午前10時半より、礼拝を行っています。時々、“礼拝はクリスチャンでなくても参加できますか”というご質問をいただきますが、どなたでも歓迎いたします。あなたもぜひ一度お越しください。