極みまでの愛
ヨハネ13:1
こんにちは。お元気でいらっしゃいますか。
聖書は神様からのラブレターだと言われます。聖書のどこを開いても、神様からの私たちへの愛の呼びかけで満ちています。
ヨハネの福音書13章1節に、このように書かれてあります。「さて、過越の祭りの前のこと、イエスは、この世を去って父のみもとに行く、ご自分の時が来たことを知っておられた。そして、世にいるご自分の者たちを愛してきたイエスは、彼らを最後まで愛された。」
これは、イエス様が十字架に付けられる前の夜のことです。ご自分の死を目前にして、後に残されていく弟子たちを最後まで愛されたというのです。なんという余裕でしょうか。いいえ、イエス様は余裕綽々(しゃくしゃく)で最後の時を過ごされたのではなく、ご自分のことよりも、弟子たちのことを思っておられたのです。それほどイエス様は、彼らを深い愛で愛し抜かれたのです。
このあと、イエス様は、たらいに水を汲んで、土と埃(ほこり)で汚(よご)れた弟子たちの足を、順番に洗って行かれました。人の足を洗うのは、奴隷の仕事でした。イエス様の愛は、謙遜という形で現れました。本当の愛は、謙遜を伴うものです。愛していると言いながら、傲慢な姿勢のままでいるとするなら、その愛は偽りです。また、本当の謙遜は、愛に裏付けられたものであるはずです。いかにも謙遜そうで、実は冷淡だとしか感じられない場合がありますが、そんな謙遜はまやかしです。
イエス様は、本当の愛と謙遜をもって、最後まで弟子たちに接しられたのです。弟子たちだけではありません。イエス様は、私たち一人一人に、愛と謙遜を示されました。その極みが十字架です。罪なき神の子キリストが、極悪人の付けられる十字架に付けられたのです。私たちのためでした。私たちの身代わりとして、十字架に死なれたのです。そうしていただかなければ、私たちの罪は決して赦されることがなかったのです。
イエス様の極みまでの愛は、あなたにも注がれています。どうぞ、このイエス様の大きな愛を、心に深く受け止めてください。あなたのためのイエス様の十字架でした。信じて感謝しましょう。
12月1日(土)午後4時半より、尼崎アルカイックホール・オクトにおいて、第43回阪神クリスマスフェスティバルが開かれます。工藤篤子さんの歌と野田常喜さんのピアノのクリスマス・コンサートです。ぜひお集いください。