罪を赦してくださる主
マタイ9:2(下)
こんにちは、ご機嫌いかがですか。
先週は、中風の人が床に寝かされたまま、イエス・キリストのもとに連れて来られ、みごとに病気が癒されたお話をしました。今週は、その続きです。もう一度マタイの福音書9章2節をお読みします。「イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に『子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦された』と言われた。」
中風を患ったその人は、イエス様によって病気が癒されました。けれども、実は彼は、その前にもっと大きな恵みをイエス様からいただいたのです。罪が赦されるという恵みです。イエス様は、彼に、まず「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と言われました。彼は、罪を赦していただきに来たのではなく、病気を治していただきに来たのです。それなのに、イエス様は、「あなたの罪は赦された」と言われたのです。
それは、イエス様が、彼を本当に不幸にしているのは病気ではなく、罪だということを知っておられたからです。彼は、何か特に悪いことをしたわけはなかったでしょう。たぶん、真面目に生きてきたでしょう。しかし、病気になってから、やけっぱちになり、周囲の人々に八つ当たりし、境遇を呪い、果ては神様に向かってつぶやくという生活に陥っていたのではないでしょうか。
彼を真に不幸にしていたのは、病気ではなく、そのような自分の心の罪、そしてその結果である生活態度の罪だったのです。
罪は、気がつかないうちに心の内をむしばみ、人格をスポイルします。麻薬を服用すると、精神や体が汚されていくと聞きます。罪とは、そのような誰が見てもそれと分かる社会的犯罪だけではなく、表には現れない、傲慢や、妬みや、恨みや、冷淡さなど、誰でも内に秘めている、神様に喜ばれないすべての思いです。
罪を持ったままでは、神様の前に出ることができません。神様の前に出られないということは、滅びるということです。聖書に「罪の報酬は死です」とあります。滅びの恐ろしさがわかれば、罪から離れたいと思うはずです。どうしたら離れられるでしょうか。罪を悔い改めるのです。神様の前に全ての罪を告白して、イエス様の十字架がこの自分のためだったと信じるのです。そうすれば、イエス様が「あなたの罪は赦された」とおっしゃってくださり、私たちの罪はきれいにぬぐい取られます。
イエス様は、罪のない神の御子でしたのに、私たちの身代わりに十字架にかかって死なれました。私たちがこのイエス様のもとに行くなら、イエス様はいつでも私たちの罪を赦し、神様の前に立てる者にしてくださいます。
あなたは、自分の罪の問題に解決がついていますか。そのままにしておかないで、早くイエス様のもとにおいでください。
教会では11月25日(日)午後3時より、小山 恵さんのソプラノと藤丸 麗さんのピアノによるチャペルコンサートを開きます。入場無料です。お誘い合わせてお集いください。