いのちの息を吹き込まれて
創世記2:7
こんにちは。ごきげんいかがですか。
このところ、創世記から続けてお話をしています。先々週は、神が天地を創造されたこと、先週は、神が人を創造されたことをお話しましたね。
今週も、神様が人間を創造されたお話です。でも、先週とは少し違った観点からお話します。神はご自分のかたちに人間を創造されましたが、その素材は土くれでした。創世記2章7節にこうあります。「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。」
子どものころ、粘土細工を楽しんだことがあります。柔らかい粘土は、思いのままに様々な物を作ることができます。凝り性なところのある私は、像や、犬や、自動車や、船などを結構精巧に作りました。しかし、どんなに精巧に作っても、私が手で持って動かさない限り、それらが自分で動き出すことはありませんでした。いのちがなかったからです。
神様は、私たち人間を大地のちりで形造られました。けれども、そのままでは動かない粘土細工のようなものでした。いのちがなかったからです。ところが、神様が横たわっている人間の鼻に、ご自分の息を吹き入れられると、なんと人間は動き出したのです。その時から人間は、“物”ではなく、“人”になりました。人は、神のいのちの息を吹き込まれて生きるものになったのです。
人は、神の息によって生きるものになった。これは深い真理です。私たち人間は、自分の力で生きているのでありません。神様によって生かされているのです。このことを見失うと、私たちは傲慢になります。さも自力で、自分の知識や経験で立っているかのように思ってしまうのです。私たちは、神様によって生かされていることを自覚し、感謝したいと思います。
神抜きにして物事を考えたり、計画を推し進めたりしがちな世の中です。神に背を向けた罪びとの世界の姿です。私たちは今、神様の前にへりくだって、神の息によっていのちを頂いていることを感謝し、神を畏れ、神に従っていきましょう。
教会では、毎週日曜日、午前10時半より礼拝を行っています。天地創造をされたまことの神様を礼拝しています。あなたも是非一度おいでください。