へりくだられた神の御子
ピリピ2:6~8
こんにちは、お元気でいらっしゃいますか。1週ごとにクリスマスが近づいてきますね。
子どもの頃は、クリスマスと言えば、サンタクロースからプレゼントをもらうのが楽しみでした。しかし、本当のクリスマス・プレゼントは、神様が私たちにお送りくださったイエス・キリストだということを、ずいぶん後になって知りました。
キリストは、罪のない神様の御子でした。神様と同じ栄光と権威を持っておられたのです。ところが、キリストは、それらを一切かなぐり捨てて、この世に来られました。薄暗い家畜小屋で産声を上げられ、粗末な飼葉おけに寝かされました。神様の御子がそんなお姿でお生まれになると、誰が予想できたでしょう。しかも、最初にお祝いに来たのは、名もない貧しい羊飼いたちでした。キリストは、まさに貧しくなってこの世に来られたのです。
聖書のピリピ人への手紙2章6~8節に、こう書いてあります。「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」
これは、キリストがいかに謙った御方だったかを表すみ言葉です。神であられた御方が、私たちと何ら変わらない人間となって、この世にお生まれになったのです。そして、貧しい者と共に歩まれ、友なき者の友となられ、ついに十字架にかかられました。十字架は、最も凶悪な犯罪者がつけられるはずのものでしたが、罪なき神の子がその十字架についてくださいました。
それは、わたしたちが罪と滅びから救われるためでした。キリストは、罪を持ったままで滅びゆく私の身代わりに十字架に死ぬために、この世に生まれてくださったのです。これがクリスマスの意味なのです。
私たちは傲慢になりやすいものです。ほめられたら鼻を高くし、認められなかったらはらわたを煮え繰り返すような者です。そんな私たちが、心低い者に造り変えられるために、キリストは人となってこの世に来られたのです。今こそ、クリスマスの本当の意味を知った者として、今年のクリスマスをお迎えしようではありませんか。
教会では、12月23日(土)午後6時半から、ベアンテ・ボーマン先生ご夫妻によるクリスマス・チェロコンサートを行います。また12月24日(日)午前10時半からクリスマス礼拝、その日の午後7時からイヴ礼拝を行います。今からご予定くださり、お気軽においでください。心からお待ちしています。