世界で一番幸せな者
ローマ4:7,8
こんにちは。ご機嫌いかがですか。
自分が幸せであるか、不幸せであるかは、その人の主観によります。多くの財産を持っていながら、幸福とは思っていない人もいるでしょうし、逆に貧しくても幸せだと感じている人もいるでしょう。このように、幸福観は相対的なものだといえるでしょう。
しかし、聖書をひもときますと、ほんとうに幸せな人とは、こういう人のことだ、とはっきり断言しています。新約聖書のローマ人への手紙4章7、8節で、このように書いています。「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。主が罪を認めない人は幸いである」。世界で一番幸せな者とは、お金持ちでも、地位のある人でもなくて、神様に罪が赦された者だ、というわけです。
罪とは、まことの神様から離れてしまっている心の状態です。神様の手によって、神のかたちに造られた私たちは、神様から離れては、滅びるばかりです。このように、私たちは、みな神様の前に滅びゆく罪人です。
しかし、神様は、私たちが滅びることを願われません。私たちが滅びないで、罪から救われるようにと、イエス・キリストを十字架にお付けになりました。罪のない神の子キリストは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」と、十字架の上で神様からさえも捨てられ、血を流して死なれました。私たちのためでした。キリストは、私たちの身代わりに十字架に死なれたのです。
私たちが自分の罪を悔い改め、キリストの十字架はこの自分のためだったと信じるなら、どんな罪も赦され、滅びから救われることができるのです。この罪の赦しをいただいた者が、一番幸いだ、と聖書は言っています。なぜなら、人生のあらゆる祝福は、罪の赦しから始まるからです。
この幸福は、一生懸命努力をして、頑張って獲得するものではありません。罪を悔い改めて十字架を信じるだけで、誰にでも与えられるものです。“そんな虫のいい話…”と思われるでしょうか。そうです、聖書の救いは虫のいい話なのです。
あなたは、もうこの幸福を自分のものにされたでしょうか。ぜひ一度、教会においでになって、最高の幸いの道を見いだしていただきたいと願っています。
教会では、日曜日、朝10時半より、礼拝の時を持っています。どなたがおいでくださっても歓迎いたします。皆様のおいでを心からお待ちしています。