助けは主から
詩篇121:1,2
こんにちは。お元気でいらっしゃいますか。
幸せでありたい、というのは、私たち全ての願いです。幸せを願わない人は誰もいません。しかし、何が私たちを真に幸せにするのでしょうか。お金でしょうか。名誉や地位でしょうか。
財産があっても、心に安らぎがない人はたくさんいます。また、高学歴を持っている人が、とんでもない犯罪を犯す例を、私たちは見ています。真の幸福は、お金や名声からは来ないのです。では、どこから来るのでしょうか。
旧約聖書の詩篇121篇1,2節にこうあります。「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る」。私たちの救い、私たちの幸せは、この天地を創造された生ける神から来るのです。
天地を創造された神とは、なんとスケールの大きい神でしょうか。しかも、この生ける神は、目があっても見ることができず、手があっても助けることができない偶像とは違います。私たちの悩み、苦しみをつぶさに見てくださり、私たちを罪と滅びから救い出してくださる御方です。
罪と滅びと言いました。罪とは、私たちの心が本当の神様から離れていることです。私たちは、天地を創造されたまことの神様を知らず、知ろうともせず、自分勝手な歩みを続けてきました。人に対しても冷淡で、傲慢で、邪悪な思いを持つのは、まことの神様から離れていることが原因なのです。その結果、私たちは皆滅ぶべき者となっています。
そんな私たちを、神様は深く憐れんでくださり、私たちのためにキリストをお送りくださったのです。キリストは、罪を知らない御方でしたのに、私たちに代わって十字架にかかって死なれました。私たちは、自分の罪を悔い改め、キリストが私のために十字架にかかってくださったと信じるなら、誰でも、どんな罪でも赦され、救われます。この救いをいただいた者が、幸いな者なのです。
あなたも、天地を創造され、キリストを十字架におかけになるほど私たちを愛してくださった本当の神様を信じて、救いをいただかれませんか。そして、本当の幸いを掴んでみませんか。
教会では、日曜日、朝10時半より、礼拝の時を持っています。どなたがおいでくださっても歓迎いたします。皆様のおいでを心からお待ちしています。