永遠への思い
伝道者の書3:11b
こんにちは。お元気でいらっしゃいますか。
“人間が、他の動物と決定的に異なるところは何ですか”。ある人から、そんな質問をされたことがあります。あなたはどう思われますか。答えは、聖書の中にあります。旧約聖書の伝道者の書3章11節後半に、こうあります。「神はまた、人の心に永遠を与えられた。」心に永遠が与えられたとは、神を慕う心が与えられたということであり、また救いを求める思いが与えられたということです。
動物も人間と同じように感情をもっています。喜びや悲しみを十分表現します。しかし、犬や猿が魂の救いを求めて神に祈る姿を、私は見たことがありません。永遠への思いは、神が人間だけに与えておられるものです。なぜなら、私たち人間は、神のかたちに造られたからです。
神のかたちに造られた私たちは、神から離れては、生きていけません。それでも私たちは、神を侮り、神を忘れ、自分勝手な道を歩んできました。神なんか無くても、十分生きていけると思いこんでいました。しかし、ほんとうのいのちは私たちには無く、一見幸せそうでも、真の満足のない、干からびた人生でした。
この、神から離れているということが、聖書の言う罪なのです。罪とは、神への反逆です。反逆しているつもりが無くても、心がまことの神に向いていなかったら、反逆しているのと同じなのです。
そして、神に逆らったままでは、私たちは滅んでしまうのです。そこに気がつけば、誰でも、滅びたくない、救われたいと願うでしょう。その願いが、永遠への思いに直結するのです。
イエス・キリストは、その願いを実現するために、この世に来られ、十字架にかかられました。私たちの罪を一身に背負い、私たちの身代わりに十字架で死なれたのです。私たちが自分の罪を悔い改め、キリストが私のために十字架にかかってくださったと信じるなら、誰でも、どんな罪も赦され、永遠のいのちが与えられて、救われます。
あなたの心の内にも、永遠が与えられているはずです。その思いを眠らせておいてはなりません。人間らしい生き方は、せっかく与えられた永遠への思いを生かし、キリストによって罪赦された者となり、神に向かって生きていく生き方です。あなたも、ぜひそのような生き方をしてください。
教会では、毎週日曜日、午前10時半より礼拝を開いて、あなたのおいでを心からお待ちしています。